偏見はどこから来るのか|潜在意識に重なる社会の「当たり前」

目次

偏見とは?会う前から相手を想像してしまう潜在意識のしくみ

偏見はどこから来るのか|潜在意識に重なる社会の「当たり前」

初めて会う人の名前や肩書きを聞いただけで、「きっとこういう人だろう」と想像してしまう。そんな経験はありませんか? 「偏見」と聞くと、特別な悪意を持った人の問題のように感じますよね。

結論からお伝えすると、偏見の入口は、悪意よりもずっと身近なところにあります。社会で見聞きしてきたイメージ、つまり「当たり前」が、潜在意識の中で目の前の相手に重なるところから始まると考えられます。 ただし、その重なりは、あなたの「本音」でも、変えられない「宿命」でもありません。

今回は、偏見のしくみの入口をのぞいていきます。この先の章では、「言葉で教わらなくても、子どもは大人の態度から好みを学んでいく」という、少し意外な話も紹介します。

この章でわかること

  • 会う前から相手を想像してしまうのは、なぜなのか
  • 偏見・固定観念・差別は、どう違うのか
  • この記事で一緒に考えていく、「当たり前」の出どころ

名前や肩書きだけで、会う前から人柄を想像してしまう — 誰にでもある「決めつけ」の入口

相談者
先生、私、初めて会う人の名前や肩書きを聞いただけで、どんな人か想像してしまうんです。「部長」と聞けば厳しそう、「登山が趣味」と聞けば元気な人かな、とか……。これって、もう偏見なんでしょうか?
ハック先生
その想像は、多くの人がしていることなんですよ。自分を責める必要はありません。

たとえば、こんな場面に心当たりはありませんか?

聞いた情報 会う前に浮かびやすい想像(例) 想像のもとになったもの(例)
肩書きが「部長」 厳しそう、話しかけにくそう ドラマや漫画で見た上司の姿
出身地が「関西」 話がおもしろそう テレビで見てきた芸人さんたち
年齢が「20代」 スマホやSNSにくわしそう ニュースや広告での若者の描かれ方
趣味が「登山」 体力があって、元気そう 山の写真やポスターの人たち
名前の響きが古風 自分より年上かな 身近な年配の人の名前

ここで注目してほしいのは、右の列です。会う前の想像の多くは、目の前の本人からではなく、これまで社会で見聞きしてきたイメージから来ています。

では、なぜ会う前から想像してしまうのでしょうか。

会う前の相手について、わかっているのは名前や肩書きくらいですよね。心は、その空白を、これまでに見聞きしてきたイメージで埋めて、相手を理解しようとしていると考えられます。何もわからないままでは、どんなふうに話しかければいいのかも決めにくいからです。

たとえるなら、鉛筆で描く下書きのようなものです。

  • 名前や肩書きから、相手の姿をざっと下書きする
  • 会って話すうちに、本人の姿で描き直していく
  • 下書きのまま「この人はこういう人だ」と決めてしまうと、本人の姿が見えなくなる

下書きをすること自体は、自然な心の働きです。問題になりやすいのは、下書きを本人の姿だと思いこんで、描き直さなくなったときなんです。

連載の人間関係の記事では、初めて会う人に、昔の大切な人を重ねてしまう心を紐解きました。今回、相手に重なるのは、社会で見聞きしてきた「当たり前」のイメージです。

潜在意識は、会う前から、社会で覚えたイメージで相手の姿を下書きしている。 その下書きとどう付き合うかが、この記事のテーマです。

考えるための問い

  • 最近、会う前に想像していた人を思い出してみてください。実際に会ってみて、想像どおりの人でしたか?
  • その想像は、目の前の本人から来たものでしょうか。それとも、どこかで見聞きしたイメージから来たものでしょうか?

偏見・固定観念・差別はどう違う?— 潜在意識に重なる社会の「当たり前」をほどく

相談者
でも先生、「偏見」って聞くと、差別と同じくらい悪いものに聞こえます。さっきの想像も偏見なんですか? 固定観念とは、何が違うんでしょう?
ハック先生
言葉が似ているので、混ざってしまいますよね。心理学では、次のように分けて考えることが多いんです。
言葉 ひと言でいうと 例
固定観念 ある集団についての知識や期待 「この仕事は男性が多そう」と思う
偏見 ある集団や、その一員への評価や感情 「あの集団の人は苦手」と感じる
差別 集団を理由にした、不利益な扱い 同じ力なのに、属性で評価や機会が変わる
社会の条件 決まりごと・機会・描かれ方・慣習 誰が責任ある役で描かれやすいか

さっきの「部長は厳しそう」という想像は、この表でいえば固定観念に近いものです。その想像が「だから苦手」という気持ちになれば、偏見に近づきます。その気持ちが評価や機会の差になって表れれば、差別の問題です。

四つは関係しあっていますが、それぞれ別のものです。

  • イメージを知っていることと、それを正しいと信じることは違う(くわしくは【ポイント1】で)
  • 苦手という気持ちがあることと、不利益な扱いをすることも違う
  • 差別は、した人の気持ちとは別に、受けた人の不利益として確かめられる

では、潜在意識は、このどこに関わっているのでしょうか。

連載の環境の記事でも見たように、この連載では、潜在意識を「考えるより先に働く心のしくみの集まり」としてとらえています。偏見でいえば、相手の名前や姿にふれたとたんに浮かぶ連想や、なんとなく感じる身構えがそれにあたります。

ただし、心理学では「すばやく起きる」「意図していない」「気づいていない」を、それぞれ別のものとして考えます。

心の動き(例) 本人が気づいていること 気づきにくいこと
初対面の人に、なんとなく身構える 身構えているという気持ち なぜ身構えるのか、その理由
肩書きを聞いて、人柄を想像する 想像していること その想像がどこから来たのか

偏見の「潜在的」な部分は、隠れた本音というより、気持ちの出どころに気づきにくいところにあると考えられます。それが「本音」なのかどうかは、【ポイント3】で一緒に考えていきます。

よくある見方 潜在意識から見ると
偏見は、悪意のある人だけが持つもの 社会で見聞きしたイメージは、多くの人の心に入っている
偏見がある人は、差別をする人 イメージ・気持ち・扱いは、それぞれ別のもの
気づいていない偏見こそ、隠れた本音 気づきにくいことと、本音であることは別

潜在意識に重なるのは、自分で考えて作ったイメージだけではありません。社会で見聞きしてきた「当たり前」が、考えるより先に、相手の姿に重なっていきます。 この記事では、この重なりの正体を、一段ずつ紐解いていきます。

考えるための問い

  • あなたが「知っている」イメージのうち、自分の目で確かめたものは、どれくらいありますか?
  • 「イメージを知っている」ことと、「そのイメージで人を判断する」ことは、どこが違うと思いますか?

【考えてみよう】あなたの「当たり前」は、いつ、どこで身につけたもの?

相談者
先生、自分の「当たり前」がどこから来たのかなんて、考えたこともありませんでした。どうやったらわかるんでしょう? ずばり答えを教えてください!
ハック先生
ふふ、知りたくなりますよね。でも、これはあなたの人生の中にしか答えがない問いなんです。

そこで、答え合わせのない問いを用意しました。深く考えすぎず、心に浮かんだ場面を、そのまま思い出してみてください。

問い 思い出すきっかけ 紐解く章
教わっていないのに、「この人たちとは距離を置くもの」と感じていたことは? 大人の表情や声の調子 【ポイント1】
「〇〇といえばこういう人」というイメージを、画面で見た覚えは? 検索して並ぶ写真、ドラマの配役 【ポイント1】
血液型や出身地で、相手を「わかった気」になったことは? 実際に話してみて、どうだったか 【ポイント2】
初めて会ったのに、「自分たちの側」をひいきしたくなったことは? 運動会のチーム分け 【ポイント2】
「無意識の偏見テストで本音がわかる」と聞いて、どう感じる? 自分の結果を予想できそうか 【ポイント3】
昔と今で、変わった「当たり前」はありますか? 子どものころに見たドラマやコマーシャル 【ポイント3】とまとめ

これは、あなたに偏見があるかどうかを診断するものではありません。正解も、まちがいもありません。思い出せる場面の数で、人を比べるものでもありません。

この記事を読み終えたら、もう一度この問いに戻ってきてください。自分の「当たり前」が、少しちがって見えてくるかもしれませんよ。

考えるための問い

  • 今のあなたの「当たり前」の中で、いちばん古いものは、いつごろ身についたものだと思いますか?

次の【ポイント1】では、潜在意識が社会の「当たり前」をどのように覚えていくのかを、一緒にのぞいていきましょう。

偏見とは?会う前から相手を想像してしまう潜在意識のしくみ

【ポイント1】潜在意識は社会の「当たり前」を覚えていく — 態度・言葉・画像から入り込む偏見

「この仕事には、こういう人が向いている」。誰かにそう教わった覚えはないのに、なぜか頭に浮かぶイメージはありませんか? 記事のはじめの【考えてみよう】では、「あなたの『当たり前』は、いつ、どこで身につけたもの?」とおたずねしました。

この章でたどり着く答えは、こうです。潜在意識は、言葉で教わったことだけから「当たり前」を覚えるのではありません。大人のふるまい、身のまわりの言葉、毎日目にする画像からも、少しずつ覚えていくと考えられます。 ただし、覚えたイメージを知っていることと、それを信じていることは同じではありません。

この章では、「当たり前」が心に入り込む三つの道すじを、身近な場面から一段ずつ紐解いていきます。章の後半では、偏見が少ない人も多い人も、社会のイメージは同じように知っていた、という意外な結果も紹介します。

この章で紐解くこと ひと言でいうと
子どもは、どうやって好き嫌いを身につける? 言葉の説明がなくても、大人の接し方から学ぶ
言葉や画像は、見方に影響する? 職業と性別の結びつきが、画像を見たあとに偏った
イメージを知っていたら、偏見がある? 知っていることと、信じていることは違う

とくに、次のような方に読んでいただきたい内容です。

  • 教わった覚えがないのに、なぜか浮かぶイメージが気になる方
  • 子どもにどんな「当たり前」が伝わっているのか、考えたことがある方
  • 検索画像やAIの画像が、人の見方に影響するのか知りたい方

社会の「当たり前」が、潜在意識に重なっていく流れを図にまとめました。

flowchart TD
    A["大人の
ふるまい"] B["言葉と画像
AIの画像"] D["潜在意識に
重なる
社会の当たり前"] E["知っている
イメージ"] F["とっさに
浮かぶ連想"] G["信じるかは
自分で選べる"] H["相手を見るときの
下書きになる"] I["下書きを
描き直せる"] A --> D B --> D D --> E E -->|条件しだいで| F E -->|考えると| G F --> H G --> I classDef source fill:#FEF3C7,stroke:#D97706,stroke-width:2px,color:#451A03 classDef inner fill:#EDE9FE,stroke:#7C3AED,stroke-width:2px,color:#2E1065 classDef know fill:#E0F2FE,stroke:#0284C7,stroke-width:2px,color:#082F49 classDef auto fill:#FFE4E6,stroke:#E11D48,stroke-width:2px,color:#4C0519 classDef choose fill:#DCFCE7,stroke:#16A34A,stroke-width:2px,color:#052E16 classDef draft fill:#FCE7F3,stroke:#DB2777,stroke-width:2px,color:#500724 class A,B source class D inner class E know class F auto class G choose class H,I draft linkStyle default stroke:#94A3B8,stroke-width:2px

図の上半分は「当たり前」がどこから入ってくるか、下半分は、入ってきたイメージがその後どう働くかを表しています。記事のはじめでお話しした「下書き」は、こうして描かれていくのです。

子どもは大人の態度から学ぶ — 言葉で教わらなくても、好みは偏っていく

近所の人とすれ違ったとき、大人がある人には笑顔であいさつし、別の人には少しそっけなく会釈する。子どもは、そんな場面を横でじっと見ています。

「あの人とは話しちゃだめ」と言われたことはないのに、なんとなく避けていた家や人がいた。そんな記憶がある方もいるでしょう。

言葉で教わっていないのに、子どもはどうやって好き嫌いを身につけるのでしょうか。

子どもは、大人が「何を言ったか」だけでなく、「誰にどう接したか」からも学ぶことがあります。

海外の心理学の実験では、幼稚園くらいの子どもたちに、大人が二人の人物と接する様子を見てもらいました。大人は一人には親しげに、もう一人には冷たく接します。どちらが良い人かという説明は、一切ありません。

その結果、子どもたちの反応は次のように偏りました。

  • 親しげに扱われた人物のほうを、より好きになる
  • その人物のまねをしたい、一緒に遊びたいという気持ちも、同じ向きに偏る
  • その偏りは、その人物が属する、実験のために作られた新しいグループの人たちにまで広がる

三つ目の点が、とくに大切です。子どもは、目の前の一人についての好き嫌いを覚えただけではありません。「あのグループの人たち」という、まだ会ったこともない人たちへの見方まで、大人の接し方から読み取っていたのです。

では、なぜ子どもは、大人の接し方にこれほど敏感なのでしょうか。

幼い子どもにとって、世の中はまだわからないことだらけです。誰が安心できる人で、誰に気をつければいいのか。その答えを、身近な大人の反応から読み取ろうとしているのだと考えられます。大人の表情や声の調子は、子どもにとって、世界を読むための大切な手がかりなのです。

大人のふるまい(例) 子どもが受け取るかもしれないメッセージ(例)
ある人には笑顔、別の人からは目をそらす この人は大丈夫、あの人は用心しよう
特定の人の話だけ、身を乗り出して聞く この人の話は、大事なもの
ある人たちの話題になると、声をひそめる あの人たちは、ちょっと違う

ただし、この実験の読み方には注意が必要です。

  • 子どもの好みや、まねしたい気持ちを調べたもので、無意識を直接測ったものではない
  • 家庭・学校・友だち・テレビなど、どこからどれだけ学んだかの割合は調べていない
  • 長年続いてきた差別と同じ強さや続き方を、示したわけではない

つまり、「親の態度で子どもの一生が決まる」という話ではありません。子どもは、たくさんの大人やまわりの人たちの接し方から、少しずつ世界の見方を形づくっていくのでしょう。

こうした学びは、子どものころだけのものではなさそうです。

  • 新しい職場で、先輩たちが誰に丁寧で、誰を軽く扱っているかを、いつの間にか覚えている
  • 転校先のクラスで、どのグループが「中心」なのかを、言葉で説明されなくても感じとる
  • 近所や親せきの集まりで、どんな話題には触れないほうがいいのかを、場の空気から学ぶ

大人になってからも、私たちは、まわりの人の接し方を手がかりに、その場の「当たり前」を覚え続けているのかもしれません。

連載の人間関係の記事では、大切な人との関係の中で、人との距離の取り方を学んでいく心を紐解きました。偏見も、人との関わりの中で身についていく面があると言えそうです。

言葉で教わるより先に、大人が誰にどう接するか。潜在意識は、そこから世界の「当たり前」を覚えていく。 偏見は、生まれつき心に組みこまれているというより、人と人の関わりの中で受けわたされていく面があるのかもしれません。

考えるための問い

  • 子どものころ、言葉で教わっていないのに「そういうものだ」と思っていたことはありますか?
  • あなたが誰かに接する様子は、まわりの人に、どんな「当たり前」を伝えているでしょうか?

言葉と画像に流れる「当たり前」— 検索画像やAIの画像で、職業のイメージが偏った

「社長」「看護師」「エンジニア」。こうした言葉で画像を検索したら、どんな人の写真が並ぶと思いますか? 子どものころに読んだ絵本で、お医者さんや社長は、どんな姿で描かれていたでしょうか。

私たちは毎日、たくさんの言葉と画像にふれています。

毎日ふれるもの 流れている「当たり前」の例
職業の画像やイラスト この仕事は、この性別の人が多い
家族が出てくるコマーシャル 台所に立つのは、いつも同じ役の人
ドラマやアニメの配役 頼れるリーダーは、いつも似た姿の人
ニュースの見出し ある集団は、特定の話題とだけ一緒に出てくる

そこに流れている「当たり前」は、潜在意識の見方に影響するのでしょうか。

くり返し目にする言葉や画像は、何と何を結びつけるかという、潜在意識の材料になっていると考えられます。

一つ目は、言葉です。

海外の研究では、アメリカの英語を話す人たちの態度と、英語の文章の中で言葉どうしがどう結びついているかをくらべました。「看護師」と「やさしい」のように、文章の中で一緒に使われやすい言葉の組み合わせのことです。文章の中の結びつきは、本人が答える態度よりも、考えるより先に働く反応のほうと強く対応していました。

ただし、これはどちらが原因かまではわからない、対応関係の調べです。

  • 言葉が、人の見方を形づくっているのかもしれない
  • 人の見方が、言葉の使われ方に表れているのかもしれない
  • 両方が行き来している可能性もある

二つ目は、画像です。

インターネットの画像を調べた海外の研究では、職業の画像を検索して見てもらう実験が行われました。画像を見たあと、参加者の中の職業と性別の結びつきが偏り、その一部は3日後にも残っていました。

ただし、考えるより先に働く反応を見ると、結果は、くらべた相手によって違いました。

画像を見た人たちと、くらべた相手 考えるより先に働く反応の差
くらべるために置かれたグループ 差があった
文章で職業を調べた人たち はっきりしなかった

「画像は文章よりも偏見を強める」とまでは言えないのです。

三つ目は、生成AIの画像です。

偏りのあるAI画像を見た人たちは、そのあと「金融の管理職にふさわしそうな顔」を選ぶ課題で、選び方が偏りました。人が作ってきた画像の偏りをAIが学び、そのAIの画像を見た人の判断が偏る。そんな循環を考えさせる結果です。

ただし、これは特定のAIと、特定の課題での結果です。すべてのAIが偏見を強めることや、実際の採用が変わることを示したわけではありません。同じ論文には、正確なAIとのやり取りで、人の見分ける力が良くなった課題もありました。こちらは見分ける課題での結果で、偏見が減ったという話ではありません。

社会の偏りが、言葉や画像を通して人の見方に入り込み、その見方が次の言葉や画像に表れていく。そんな循環を、考え方の図にしてみました。

flowchart TD
    A["社会の中の偏り
誰がどの役で
描かれやすいか"] B["言葉・画像・
AIの画像に表れる"] C["くり返し
目にする"] D["職業と性別の
結びつきが偏る"] E["人を選ぶ・描く
ときに表れる"] F["新しい言葉や
画像になって
社会に戻る"] A --> B B --> C C --> D D --> E E --> F classDef society fill:#F1F5F9,stroke:#475569,stroke-width:2px,color:#0F172A classDef media fill:#FEF3C7,stroke:#D97706,stroke-width:2px,color:#451A03 classDef see fill:#E0F2FE,stroke:#0284C7,stroke-width:2px,color:#082F49 classDef mind fill:#EDE9FE,stroke:#7C3AED,stroke-width:2px,color:#2E1065 classDef act fill:#FFE4E6,stroke:#E11D48,stroke-width:2px,color:#4C0519 classDef back fill:#FCE7F3,stroke:#DB2777,stroke-width:2px,color:#500724 class A society class B media class C see class D mind class E act class F back linkStyle default stroke:#94A3B8,stroke-width:2px

この図は、いくつかの研究をつなげて考えるための図です。すべての矢印が、一つの実験で確かめられたわけではありません。

連載の環境の記事では、「見るだけで行動が変わる」という有名な話が、正確に確かめ直すと再現されなかったことを紹介しました。今回の話は、それとは中身が違います。あちらは、言葉を見たあとに歩く速さが変わるかという話でした。今回調べられたのは、職業と性別をどう結びつけるか、誰を選ぶかという、見たものと直接つながる判断です。

よくある受け止め方(言いすぎ) ちょうどいい受け止め方
画像を見るだけで、偏見が強くなる 画像のあとに結びつきが偏った実験はあるが、長い影響は不明
画像は、文章より偏見を強める 画像と文章の差は、はっきりしなかった
AIが、人の無意識を操っている 特定のAI画像で、特定の選び方が偏った実験がある
言葉が、偏見を生んでいる 言葉の結びつきと態度は対応するが、原因の向きは不明

「見るだけで操られる」のではありません。くり返し出会う言葉や画像が、何と何を結びつけるかの材料になっていく。そう考えると、一つの見方が見えてきます。ある職業に一つの属性の人ばかりが描かれていても、それが能力の違いを表しているとは限りません。これまでの機会の偏りを映している場合もあるのです。

日常で気づいてみる

次に画像を検索したとき、並んだ写真の人たちが、どんな人に偏っているかを、少しだけ眺めてみてください。変えようとしなくてかまいません。気づくだけで十分です。

くり返し目にする言葉や画像から、潜在意識は「何と何が結びつきやすいか」を覚えていく。 私たちの「当たり前」の一部は、自分で考えて作ったというより、毎日の画面や文章から少しずつ入ってきたものだと言えそうです。

考えるための問い

  • あなたが思い浮かべる「社長」や「看護師」の姿は、実際に会った人から来ていますか? それとも、画面で見た姿から来ていますか?
  • ある役に特定の人ばかりが描かれるとき、それはその人たちの力を表しているのでしょうか。それとも、これまでの機会の歴史を表しているのでしょうか?

「知っている」と「信じている」は違う — 偏見が少ない人も、社会のイメージは知っていた

「男の子なんだから、泣かないの」。こんな言葉を、どこかで聞いたことがありますよね。でも、あなた自身が「男は泣くべきではない」と本気で思っているかというと、そうとは限りません。

社会のイメージを知っていることは、偏見を持っていることと同じなのでしょうか。

社会に出回るイメージを「知っている」ことと、それを自分の考えとして「信じている」ことは、別のものだと考えられます。

30年以上前に行われた、よく知られた心理学の実験があります。

  • 自分で「偏見が強い」と答えた人も「弱い」と答えた人も、社会に出回っている固定観念の中身は、同じように知っていた
  • 固定観念に関係する言葉を気づきにくい形で見せると、どちらの人も、あいまいな行動を固定観念どおりに受け取りがちだった
  • 一方、自分の考えを書いてもらうと、偏見が弱い人は、固定観念とは違う考えを書いた

つまり、社会のイメージは、偏見が弱い人の心にも「知識」として入っています。条件によっては、その知識が、考えるより先に判断に入り込むことがある。けれど、自分で考える場面では、その知識とは違う考えを示せた、ということです。

ただし、この話には続きがあります。のちの研究では、見せるものを変えてくらべました。結果は、次のように報告されています。

見せたもの 偏見が強い人 偏見が弱い人
集団の名前だけ 否定的な判断が強まった 反対の向きの傾向
否定的なイメージまで 否定的に傾いた 否定的に傾いた

「集団を思い浮かべたら、誰にでも同じ偏見が自動的に出てくる」とまでは言えないのです。

では、なぜ信じていない知識が、判断に入り込むことがあるのでしょうか。

実験で固定観念に沿った受け取り方が出たのは、言葉にはっきり気づきにくい条件で、しかも相手の行動があいまいな場面でした。手がかりが少ないとき、心は手もとにある知識を使って、足りない部分を補おうとするのでしょう。自分でじっくり考える場面では、違う考えを示せたこととも合っています。

知識が判断に入り込みやすい場面(例) 違う考えを示しやすい場面(例)
相手の行動がどちらにも取れる、あいまいなとき 相手について、たしかな情報があるとき
考える時間がなく、とっさに判断するとき 落ち着いて、自分の考えを確かめられるとき

心の辞書にたとえると、わかりやすくなります。

  • 辞書には、自分がふだん使わない言葉も、たくさん載っている
  • 載っていることと、自分がその言葉を使うことは、別のこと
  • 社会のイメージも、心の辞書に載っているようなもの

「知っている」から「ふるまう」までを、段階に分けてみましょう。

段階 どういうことか 例
知っている 社会に出回るイメージを知識として持つ 「男の子は泣かない」という言葉を知っている
浮かびやすい 条件しだいで、連想が判断に入り込む 泣いている男の子を見て、一瞬「弱いな」と感じる
信じている 自分の考えとして、そのイメージを支持する 「男は泣くべきではない」と本気で思う
ふるまう 人への接し方や評価に表れる 泣いている男の子を笑う、責める

この表で大切なのは、どの段階も、次の段階へ自動的に進むわけではないということです。

よくある見方 潜在意識から見ると
固定観念を知っているなら、偏見がある 知っていることと、信じていることは別
偏見が少ない人には、社会のイメージは入っていない 偏見が少ない人も、同じように知っていた
知識が浮かんだら、必ず判断が偏る 何が浮かぶかは、見せられた手がかりや条件で変わる

この区別は、二つのことを教えてくれます。

  • 「私は偏見がないから大丈夫」と思っていても、社会のイメージは心の辞書に入っている
  • 知っているイメージが浮かんでも、それをどう扱うかを考える余地がある

潜在意識には、社会の「当たり前」が知識として入っている。けれど、それを信じるかどうか、どうふるまうかは、考える心が選び直せる部分でもある。 知っていることを恥じる必要はありません。大切なのは、知っていることと、自分が大切にしたい考えとの間に、すき間があることに気づくことなのです。

考えるための問い

  • 「知っているけれど、信じてはいない」イメージを、あなたはいくつ思い浮かべられますか?
  • とっさに浮かんだ連想と、あなたが大切にしたい考えが違ったとき、あなたはどちらで人と接したいですか?

【ポイント1】で見えた潜在意識

紐解いたこと 見えた潜在意識のすがた
子どもは大人の態度から学ぶ 言葉より先に、誰がどう扱われるかを見て「当たり前」を覚える
言葉と画像に流れる「当たり前」 くり返し目にするものから、何と何が結びつくかを覚える
知っていることと、信じていることは違う 社会のイメージは知識として入っているが、使い方は選び直せる

では、なぜ潜在意識は、わざわざ人を「グループ」や「カテゴリー」で見ようとするのでしょうか。次の【ポイント2】では、血液型で相手を「わかったつもり」になる心から、理解の近道とその影を紐解いていきます。

【ポイント1】潜在意識は社会の「当たり前」を覚えていく — 態度・言葉・画像から入り込む偏見

【ポイント2】潜在意識はなぜ人をカテゴリーで見るのか — 理解の近道と、相手が見えなくなる影

「血液型、何型?」「〇型です」「やっぱり! そんな感じがした」。こんな会話を、一度は交わしたことがありませんか? この記事の冒頭の【考えてみよう】にも、「血液型や出身地で、相手を『わかった気』になったことは?」という問いを置きました。

先に、この章の答えをお伝えします。潜在意識が人をカテゴリーで見るのは、わずかな情報から相手を理解するための近道だと考えられます。その近道には、相手を早くつかめる光と、目の前の一人が見えにくくなる影があります。 ただし、近道があることは、不公平な扱いの言い訳にはなりません。

章の後半では、まったく同じ応募書類なのに、名前が男性か女性かで評価が変わった、という実験も紹介します。

この章で紐解くこと ひと言でいうと
なぜ、人をカテゴリーで見るの? 少ない情報で、相手を先回りして理解する近道になる
血液型で、性格はわかる? 説明できる気がすることと、根拠があることは別
グループに分かれると、どうなる? 敵意がなくても、自分の側をひいきしやすくなる
近道の影は、どこに表れる? 意図とは別に、評価や機会の差として表れることがある

こんな方に、とくに読んでいただきたい章です。

  • 血液型や出身地の話で盛り上がるけれど、どこまで当たるのか気になる方
  • 「うちのチーム」と「よそのチーム」を、つい比べてしまう方
  • 自分は公平に人を見ているつもりだけれど、本当にそうなのか考えてみたい方

カテゴリーの光と影を、図で見てみましょう。

flowchart TD
    A["名前・年齢
血液型など
わずかな情報"] B["心の中の
カテゴリー"] C["光
すばやく
見当がつく"] D["影
一人ひとりが
見えにくい"] E["話しかける
きっかけになる"] F["わかったつもり
ひいき
評価の差"] G["目の前の一人を
知ろうとする"] A --> B B --> C B --> D C --> E D --> F E --> G F -->|気づくと| G classDef info fill:#FEF3C7,stroke:#D97706,stroke-width:2px,color:#451A03 classDef cat fill:#EDE9FE,stroke:#7C3AED,stroke-width:2px,color:#2E1065 classDef light fill:#E0F2FE,stroke:#0284C7,stroke-width:2px,color:#082F49 classDef shadow fill:#FFE4E6,stroke:#E11D48,stroke-width:2px,color:#4C0519 classDef know fill:#DCFCE7,stroke:#16A34A,stroke-width:2px,color:#052E16 class A info class B cat class C,E light class D,F shadow class G know linkStyle default stroke:#94A3B8,stroke-width:2px

光と影は、同じカテゴリーから枝分かれしています。影に気づくことは、目の前の一人を知ろうとする入口にもなります。

限られた情報で人を理解する近道 — 血液型で「わかったつもり」になるのはなぜ?

新しい職場で、隣の席の人が「〇型なんです」と言った。それだけで、「じゃあ、きっちりした人かな」と、相手の輪郭が見えた気がする。出身地や年齢を聞いたときにも、同じようなことが起きていませんか?

私たちは、なぜ、血液型のようなカテゴリーで相手を「わかった気」になるのでしょうか。

カテゴリーは、限られた情報から相手を理解するための、心の近道として働いている、と言えそうです。

ここでいうカテゴリーとは、年齢・性別・出身地・職業・血液型のように、人をいくつかのまとまりに分けて見る「枠」のことです。

本屋さんの棚にたとえると、わかりやすくなります。

  • 「ミステリー」の棚を見れば、どんな本が並んでいるか、だいたいの見当がつく
  • 表紙や帯を見れば、手に取るかどうかを早く決められる
  • けれど、表紙を眺めただけで、その本を読んだことにはならない

人と出会うときも、似たところがあります。私たちは毎日、たくさんの人とすれ違い、言葉を交わします。一人ひとりを、はじめから深く知る時間は、誰にもありません。そこで心は、カテゴリーという棚を手がかりに、相手を先回りして理解しようとするのでしょう。

連載の予測の記事では、脳が、見る前から次に起きることを先回りして予測していることを紹介しました。カテゴリーは、「この人はこうだろう」という、人についての予測の材料になっていると考えることもできます。

ただし、「脳は楽をしたがるから、偏見は避けられない」とまでは言えません。同じ人を前にしても、どのカテゴリーが呼び出されるかは、場面によって変わると考えられています。職場では「上司」として見ていた人が、地元の集まりでは「同じ町の出身の人」として見える、というようにです。

では、血液型というカテゴリーは、どれくらい人を説明できるのでしょうか。

日本とアメリカの大規模な調査のデータを分析し直した研究があります。調べたのは、暮らしやお金に対する考え方などをたずねる質問への答えが、血液型によって違うかどうかです。ほとんどの質問で、意味のある差は見られませんでした。答えの違いのうち、血液型で説明できる部分は、最大でも約0.3%でした。

つまり、人による答えの違いのほとんどは、血液型以外のところから来ていた、ということです。

ただし、この研究で確かめられたことには、限りがあります。

  • 質問は暮らしやお金に関するものが多く、性格を測るための専用のテストではない
  • 「当たっている気がする」心のしくみを、直接調べたものではない
  • 輸血などで大切な、血液型の医学的な意味とは別の話

それでも、「血液型で性格が説明できる」という見方を支える根拠は、この結果からは得られませんでした。

では、なぜ当たっている気がするのでしょうか。その理由は、この研究では調べられていません。ここからは、日常をふり返って考えてみます。

  • 「きっちりしている」「マイペース」のような言葉は、誰にでも少しは当てはまる
  • 当てはまった場面は「やっぱり」と覚えていて、外れた場面は流してしまいやすい
  • 「〇型だから」と説明できると、相手をわかったような手ごたえが生まれる

とりわけ気になるのは、「説明できた」という手ごたえです。

連載の知識の記事では、ファスナーのしくみを例に、「わかったつもり」を紐解きました。よく知っているつもりのことも、説明しようとすると穴が見つかる心のしくみです。人についても、似たことが起きていそうです。「〇型だから、きっちりしている」と感じても、その理由を本人の話で説明しようとすると、言葉に詰まるのではないでしょうか。

カテゴリーの近道には、光と影の両方があります。

カテゴリーの光(例) カテゴリーの影(例)
初対面でも、話しかけるきっかけが見つかる 話を聞く前に、相手の答えを決めてしまう
相手に合いそうな話題を、早く考えられる 枠に合わない本人の姿を、見落としてしまう
知らない人と会う不安が、少しやわらぐ 枠の外の人を、ひとまとめに遠ざけてしまう

わずかな情報をカテゴリーの棚に並べ、相手を先回りして理解しようとする。それが、潜在意識の近道です。 その近道のおかげで、私たちは知らない人とも話し始められます。けれど、人を知るということは、棚の札を読むことより、一冊の本を少しずつ読み進めることに近いのでしょう。

考えるための問い

  • 誰かを「〇〇だから」と説明したくなったとき、その人について、本人から直接聞いたことはどれくらいありますか?
  • あなた自身が、カテゴリーで「わかったつもり」にされて、もどかしく感じたことはありますか?

グループに分けられると仲間をひいきする — 「内」と「外」を作る心は、敵意がなくても働く

運動会で、赤組と白組に分かれた日のことを思い出してみてください。昨日まで一緒に遊んでいた友だちが、急に「相手チーム」に見えてくる。自分の組が点を取ると、自分のことのようにうれしい。そんな記憶はありませんか?

相手が嫌いなわけでもないのに、なぜ「自分たちの側」をひいきしたくなるのでしょうか。

人は、グループに分けられただけで、自分の側を有利に扱いやすくなると考えられます。相手を嫌う気持ちや、自分が得をする理由がなくても、です。

心理学には、グループ分けの心を調べた古典的な実験があります。

参加者は、ほとんど意味のない基準で、二つのグループに分けられました。昔からの対立もなければ、自分がもうかるしくみもありません。その状態で、本物の報酬を、二つのグループの人に配り分けてもらいました。見られたのは、次のような配り方です。

  • 同じグループの人のほうを、有利に扱う
  • 両方のグループを合わせた取り分を多くすることには、あまりこだわらない
  • ほかの得を手放してでも、相手のグループとの差を大きくしようとする配り方が、もっともはっきり表れた

差を大きくしようとする配り方には、少しどきっとさせられます。自分のグループが多くもらうこと以上に、「あちらより上」であることが重んじられたように見えるからです。

とはいえ、この結果を大きく読みすぎないことも大切です。

  • 相手のグループへの憎しみや攻撃を、示したものではない
  • 人が生まれつき、どんな場面でも必ずこうなる、と示したものではない
  • 気づかないうちに起きたのかどうかも、確かめてはいない

興味深いのは、この実験を行った研究者たちが、結果を社会の規範や期待という視点から論じていたことです。一部の社会に広くある、「よそのグループには、こうふるまうもの」という決まりごとのようなものです。「内」をひいきする心にも、この記事のテーマである、社会の「当たり前」が関わっているのかもしれません。

身近な場面でも、「内」と「外」の線は、あちこちに引かれています。

場面(例) 「内」への見方(例) 「外」への見方(例)
運動会の赤組と白組 自分の組の失敗は「おしい!」 相手の組の失敗は「やっぱりね」
職場の部署 うちの部署の遅れには、事情がある よその部署の遅れは、段取りが悪いから
出身地や出身校 同じ出身と聞くと、すぐ親しみがわく ちがう地域の人は、ひとまとめに見える
応援しているチーム 仲間のファンの言葉は、信じやすい ほかのファンの言葉は、疑ってかかる

なぜ、分けられただけで、自分の側が大切に思えてくるのでしょうか。

グループは、自分の居場所の一つでもあります。自分の組が勝つとうれしいのは、組の喜びを、自分の喜びのように感じるからです。「内」を大切にする心は、仲間と助け合ったり、安心して過ごしたりすることにもつながっているのでしょう。

光があるぶん、影もあります。「内」の線を引いたとたん、線の外の人が、一人ひとりではなく「よその人たち」というまとまりに見えることもあるでしょう。

連載の同調圧力の記事では、本当は誰も望んでいないのに続いていくルールを紐解きました。そのルールを支えていたのは、「みんなはそう思っている」という思いこみでした。グループの「当たり前」は、一人ひとりの本心とは別に続いていくことがあるのです。「身内を優先するもの」という空気も、その一つになりえます。

日常で気づいてみる

「うちの〇〇」「よその〇〇」という言葉を使ったとき、その線がどこに引かれているかを、少しだけ意識してみてください。線を引くこと自体を、責める必要はありません。線の場所がわかると、その向こうにいる人の顔にも、目を向けやすくなります。

「内」と「外」の線は、敵意がなくても引かれる。分けられたとたん、潜在意識は自分の側を大切にしようとする。 その線は、私たちに居場所をくれる一方で、線の外にいる一人ひとりの顔を見えにくくもします。

考えるための問い

  • あなたが「うち」と呼ぶグループの線は、いつ、誰が引いたものでしょうか?
  • 「自分たちの側」を優先したくなったとき、それはあなた自身が望んでいることでしょうか。それとも、まわりの空気に合わせたものでしょうか?

同じ応募書類でも、名前が男性か女性かで評価が変わった — 意図とは別に表れる不利益

「私は、性別で人を判断したりしない」。多くの人が、そう思っているのではないでしょうか。では、内容がまったく同じ書類が二通あって、違うのは名前だけだったとしたら、あなたの評価は本当に同じになるでしょうか。

公平なつもりでも、名前が示すカテゴリーによって、同じ中身への評価が変わることがあります。

心理学の実験を、一つ紹介します。評価したのは、アメリカで科学の分野の教員をしている人たちです。研究室の管理を担当するスタッフの募集に、学生が応募してきたという設定で、その書類を評価してもらいました。書類の中身はまったく同じで、違うのは、名前が男性か女性かだけです。どちらの名前の書類を読むかは、くじ引きのように決められました。

その結果、男性の名前の書類のほうが、次の点で高く評価されました。

  • 能力がありそうか
  • 採用したいと思うか
  • はじめの給料を、いくらにするか

同じ書類なのに、名前が女性だというだけで、能力を低く見積もられ、提示される給料も低くなったのです。

もう一つ、見逃せない結果があります。女性の教員も、男性の教員と同じように、女性の名前の書類を低く評価していました。偏見は、「女性を見下す一部の男性」だけの問題ではないということです。社会の「当たり前」は、評価される側に近い人の心にも、同じように入り込んでいると考えられます。

この実験について、確かめられていないこともあります。

  • 実際に何人が採用されたかを、数えたものではない
  • 評価した人の心の奥や、無意識を測ったものではない
  • アメリカの科学の分野での結果で、すべての仕事に当てはまるとは限らない

では、実際の求人でも、同じようなことが起きているのでしょうか。

欧米の国々では、名前などだけを変えた応募書類を、実際の求人に送る調べが、長年にわたって行われてきました。人種や民族によって、面接の連絡などの返事が変わるかを確かめるものです。こうした実験をまとめた研究では、調べた国のほとんどで、差が小さくなっていく様子は見られませんでした。むしろ、差が大きくなっていた国もあります。

例外はフランスで、差は小さくなっていました。ただし、とても高い水準から、高い水準へと下がった程度だったと報告されています。

この結果についても、気をつけたい点があります。

  • 調べたのは応募への返事の段階で、採用が決まるところまでではない
  • 国によって調べた時期が違い、日本は含まれていない
  • 差があることはわかっても、その原因が無意識かどうかまではわからない

ここで、記事のはじめのお話を思い出してください。差別は、した人の気持ちとは別に、受けた人の不利益として確かめられる、とお伝えしました。

応募書類の実験は、評価した人たちの意図を調べたものではありません。わざとだったのか、気づかないうちだったのかは、わからないのです。けれど、どちらであっても、低い評価や低い給料を示されるのは、応募した学生のほうです。

意図と不利益の関係は、図にすると次のようになります。

flowchart TD
    A["名前だけが違う
同じ中身の書類"] B["評価する人"] C["意図
わざとか
気づかずにか"] D["結果
能力・採用・
給料の評価"] E["外から見えにくく
この実験では
調べていない"] F["名前によって
差が表れた"] G["不利益を
受けるのは
応募した人"] A --> B B --> C B --> D C --> E D --> F F --> G classDef doc fill:#F1F5F9,stroke:#475569,stroke-width:2px,color:#0F172A classDef person fill:#EDE9FE,stroke:#7C3AED,stroke-width:2px,color:#2E1065 classDef intent fill:#FEF3C7,stroke:#D97706,stroke-width:2px,color:#451A03 classDef result fill:#FFE4E6,stroke:#E11D48,stroke-width:2px,color:#4C0519 classDef harm fill:#FCE7F3,stroke:#DB2777,stroke-width:2px,color:#500724 class A doc class B person class C,E intent class D,F result class G harm linkStyle default stroke:#94A3B8,stroke-width:2px

意図の側は、外からは見えにくいものです。けれど、結果の側は、同じ書類をくらべることで確かめられます。

なぜ、公平でありたい人の評価にも、差が表れることがあるのでしょうか。

ここからは一つの考え方です。書類を読むとき、心は名前を手がかりに、「この人はどんな人だろう」と先回りして考えます。その先回りに、社会で見聞きしてきた「当たり前」がまじると、同じ文章でも、少し違って読めてしまうのかもしれません。この章のはじめに見た近道が、ここでは影として表れているとも言えそうです。

影は、冷たい態度からだけ生まれるとは限りません。

「女性は気配りが上手だから、この係が向いているね」。ほめ言葉のように聞こえても、本人の希望を聞く前に役割を決めてしまえば、その人の可能性を狭めることがあります。心理学では、好意をともないながら人を限られた役割に置く態度も、偏見の一つの形として区別されてきました。

これは、親切をすべて疑うための考え方ではありません。本人が別の役割を選べるか、希望を確かめる機会があるか、という問いにつながる考え方です。

よくある見方 潜在意識から見ると
わざとではないなら、問題はない 意図がなくても、不利益を受ける人はいる
公平なつもりなら、評価も公平 つもりと実際の評価は、別に確かめる必要がある
ほめているのだから、偏見ではない 好意的な期待でも、役割を狭めることがある
差があるなら、すべて無意識のせい 考え方・慣習・選び方のしくみなど、原因はさまざま

心のしくみを知ることと、責任を考えることの関係は、【ポイント3】でもう一度考えます。

潜在意識の近道は、公平でありたいという意図とは別に、評価や機会の差として表れることがある。 自分の意図を信じるだけでなく、相手の側で何が起きていたのかに目を向けること。そこに、カテゴリーの影を小さくする手がかりがあるのでしょう。

考えるための問い

  • 最近、誰かを評価したり選んだりした場面で、名前や所属は、どれくらい判断に入っていたと思いますか?
  • 「そんなつもりはなかった」と感じたとき、相手の側では、何が起きていたのでしょうか?

【ポイント2】で見えた潜在意識

紐解いたこと 見えた潜在意識のすがた
カテゴリーは理解の近道 少ない情報を枠に当てはめ、相手を先回りして理解しようとする
「内」と「外」を作る心 敵意がなくても、分けられた自分の側を大切にしようとする
意図とは別に表れる不利益 名前が示すカテゴリーが、同じ中身への評価を変えることがある

では、こうした心の動きは、その人の隠れた「本音」なのでしょうか。それとも、一生変えられない「宿命」なのでしょうか。次の【ポイント3】では、「無意識の偏見テスト」でわかることとわからないことから、見方を訂正する自由を紐解いていきます。

【ポイント2】潜在意識はなぜ人をカテゴリーで見るのか — 理解の近道と、相手が見えなくなる影

【ポイント3】偏見は「本音」でも「宿命」でもない — 潜在意識から見た、見方を訂正する自由

「あなたの『無意識の偏見』がわかります」。そんなテストの案内を見かけて、気になったことはありませんか? 記事の冒頭の【考えてみよう】でも、「無意識の偏見テストで本音がわかる」と聞いてどう感じるか、とおたずねしました。

【ポイント2】の終わりには、「こうした心の動きは、隠れた本音なのか。それとも、変えられない宿命なのか」という問いを置きました。ひと足先に、その答えをお伝えしておきます。

潜在意識に重なった社会の「当たり前」は、隠れた本音でも、一生変わらない宿命でもないと考えられます。テストが映すのは心の一部で、社会の「当たり前」も少しずつ動いていきます。学んできた見方には、訂正していく余地があります。

章の途中では、アメリカで集められた710万件を超えるテストの結果も紹介します。変わっていった「当たり前」と、なかなか変わらない「当たり前」が見えてきます。

この章で紐解くこと ひと言でいうと
偏見テストで、本音はわかる? 一回の結果で、本音は判定できない
無意識なら、本人にはわからない? 結果の傾向は、本人もある程度読めた
社会の「当たり前」は変わる? 変わるものもあれば、変わりにくいものもある
しくみを理解したら、責任はなくなる? 理解することと、責任を持つことは両立する

この章は、とくにこんな方に読んでいただきたい内容です。

  • 「無意識の偏見」や「アンコンシャス・バイアス」という言葉が気になっている方
  • 偏見テストの結果を見て、驚いたり落ちこんだりしたことがある方
  • 「偏見は誰にでもあるから仕方ない」という言葉に、モヤモヤしている方

この章で考える二つの誤解と、その先にあるものを、図にまとめました。

flowchart TD
    A["潜在意識に重なる
社会の当たり前"] B["よくある誤解
隠れた本音"] C["よくある誤解
変わらない宿命"] D["一回の結果で
本音は決まらない"] E["社会の平均も
動いていく"] F["見方を
訂正する自由"] G["理解と責任を
両立させる"] A --> B A --> C B -->|実際は| D C -->|実際は| E D --> F E --> F F --> G classDef base fill:#EDE9FE,stroke:#7C3AED,stroke-width:2px,color:#2E1065 classDef myth fill:#FFE4E6,stroke:#E11D48,stroke-width:2px,color:#4C0519 classDef fact fill:#E0F2FE,stroke:#0284C7,stroke-width:2px,color:#082F49 classDef free fill:#DCFCE7,stroke:#16A34A,stroke-width:2px,color:#052E16 classDef both fill:#FEF3C7,stroke:#D97706,stroke-width:2px,color:#451A03 class A base class B,C myth class D,E fact class F free class G both linkStyle default stroke:#94A3B8,stroke-width:2px

二つの誤解をほどいていくと、その先に「見方を訂正する自由」が見えてきます。この章では、図の上から順に、一段ずつ紐解いていきます。

無意識の偏見テストで「本音」はわからない — 結果の傾向は本人もある程度読めた

職場の研修で、「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」という言葉を聞いた。気になってインターネットのテストを受けてみると、画面には「あなたには、ある人たちへの軽い偏りがあります」と表示された。「私って、そんな人だったの?」と、ドキッとしてしまう。

このテストの結果は、あなたの隠れた「本音」なのでしょうか。

無意識の偏見テストの結果は、あなたの隠れた「本音」を明かすものではないと考えられます。テストが映すのは、ある場面での反応の傾向で、心のすべてではないからです。

こうしたテストの中で有名なのが、心理学で「潜在連合テスト」と呼ばれるものです。しくみは、次のようになっています。

  • 画面に出てくる顔や言葉を、左右のボタンで、できるだけ速く分けていく
  • 「若い人の顔」と「良い言葉」を同じボタンにしたときと、「高齢の人の顔」と「良い言葉」を同じボタンにしたときをくらべる
  • 組み合わせを入れ替えたときの分けやすさの差から、心の中の結びつきを推し量る

つまり、「反応が速い人ほど偏見が強い」というテストではありません。二つのグループをくらべたときの差を見るものです。一つのグループを嫌っているかどうかを、それだけで示すものでもありません。

テストで見えるもの テストだけではわからないもの
組み合わせによる、分けやすさの差 その人が、本気でそう信じているか
二つのグループをくらべたときの傾向 一つのグループを嫌っているかどうか
その日、その場での反応 いつでも変わらない、その人の性質
大勢を集めたときの平均的な傾向 目の前の一人が、どう行動するか

結果を「本音」と言い切れない理由は、ほかにもあります。

一つ目は、結果の揺れです。同じ人が日をあらためて受け直すと、結果はある程度そろうものの、ぴったりとはそろいません。テストを研究してきた人たち自身が、一回の結果で個人を正確に診断することはできない、と注意しているほどです。

二つ目は、行動とのつながりです。テストの結果と実際の行動との関係を調べた研究をまとめると、その関係は平均すると小さなものでした。調べ方や場面によっても、大きく違っていました。小さいから無意味だ、とまでは言えません。大勢の傾向を調べる研究では、役に立つ面もあります。それでも、目の前の一人がどう行動するかを、この結果から言い当てることはできません。

三つ目は、少し意外な結果です。テストを受ける前に、いくつかのグループについて「自分の結果はこうなりそうだ」と予想してもらう実験があります。同じやり方をくり返し確かめた結果をまとめると、人は自分の結果のパターンを、ある程度は言い当てていました。

「無意識」と聞くと、本人にはまったくわからない秘密の心を想像しがちです。実際には、少なくとも結果の傾向については、本人にもある程度見えていたのです。

ただし、見えていたのは結果の傾向です。その反応がどこから来て、どのように生まれたのかまで、本人に見えていたとは限りません。この記事のはじめにお話しした、「気持ちの出どころには気づきにくい」という話とも重なります。

連載の自己評価の記事では、考えるより先に浮かぶ「やっぱり駄目だ」という思いも、本音とは限らないことを紐解きました。人間関係の記事でも、「無意識に出た反応こそ本音?」という疑問にお答えしています。

では、とっさの反応は、自分とは関係のないものなのでしょうか。そうではありません。とっさの反応も、あなたの心で起きた出来事です。ただ、それだけを「本当の自分」と決めてしまうと、考え直すことや相手を知ろうとすることが、脇に追いやられてしまいます。反応した自分と、その反応をどう扱うか考える自分。その両方が、人の心の働きなのでしょう。

ここで一つ、気をつけたいことがあります。テストで本音がわからないことは、「偏見や差別はない」という意味ではありません。【ポイント2】で見たように、不利益は、同じ書類をくらべるような別の方法で確かめられます。テストの確かさの話と、差別があるかどうかの話は、分けて考える必要があります。

よくある受け止め方 潜在意識から見ると
テストの結果こそ、隠れた本音 一回の結果で、本音は判定できない
無意識なのだから、本人にはわからない 結果の傾向は、本人もある程度読めた
結果が偏っていたら、差別をする人 テストと行動の関係は、平均すると小さい
テストが不確かなら、偏見の問題もない 差別があるかどうかは、別の方法で確かめる

潜在意識の反応は、隠れた「本音」の証拠ではない。心のある一面を、ある瞬間に切り取ったものにすぎない。 写真に写った姿が自分の一部であるように、とっさの反応も、たしかにあなたの一部です。けれど、一枚の写真が、あなたという人のすべてを語れるわけではありません。

考えるための問い

  • もし偏見テストの結果が思いがけないものだったら、あなたはそれを、どんなふうに受け止めたいですか?
  • あなたは、自分のどんな反応なら、前もって言い当てられそうですか? 言い当てられないのは、どんな反応でしょうか?

社会の「当たり前」も変わっていく — 710万件のテストが示した変化と、変わりにくいもの

子どものころに見ていたドラマやコマーシャルを、久しぶりに見返したことはありますか? 「今なら、このせりふは言わないだろうな」と感じる場面が、意外とあるものです。

社会の「当たり前」は、とっさの反応のレベルでも、変わっていくのでしょうか。

社会の「当たり前」は、考えるより先に働く反応のレベルでも、変わっていくことがあると考えられます。ただし、どの話題でも同じように変わるわけではなく、いつも良い方向へ進むとも限りません。

アメリカで、インターネットの偏見テストに寄せられた710万件を超える結果を、年ごとにまとめて分析した研究があります。話題ごとに整理すると、次のようになります。

話題 考えるより先に働く反応 本人が言葉で答える態度
性的指向・人種・肌の色 中立の方向へ変わっていった 偏りが小さくなっていった
年齢・障害・体重 長い目で見て、ほとんど変わらなかった 偏りが小さくなっていった

言葉で答える態度は、どの話題でも偏りが小さくなっていました。一方で、考えるより先に働く反応は、話題によって変わり方が違ったのです。年齢・障害・体重については、言葉では変わっていても、とっさの反応はほとんど動いていませんでした。

男性と女性など、さまざまなグループで、似た変わり方をしていたことも報告されています。一部の人だけでなく、社会全体の「当たり前」が動いていた、と読み取れます。

この数字を読むときに、気をつけたいこともあります。

  • 同じ人を何年も追いかけたのではなく、その年ごとに受けた人たちの結果を集めたもの
  • 自分から進んでテストを受けたアメリカの人たちの結果で、アメリカ全体や日本の姿を表すとは限らない
  • 実際の差別がどれだけ減ったかを、測ったものではない

この流れには、新しい報告もあります。その後の数年を調べた報告では、それまで小さくなっていた偏りの流れが、止まったり、逆戻りしたりしたとされています。ただし、これは専門家の審査を受ける前の報告で、くわしい中身は、これから確かめられていく段階です。

二つの結果を並べると、社会の「当たり前」について、大切なことがわかります。

  • 「当たり前」は固まった岩ではなく、少しずつ形を変えていく
  • けれど、時間がたてば自然に良くなる、とも限らない
  • 言葉で答える態度と、とっさの反応は、同じ速さでは変わらない

社会の「当たり前」は、川の流れに似ているのかもしれません。流れの向きは変わりえますが、いつも同じ方向へ進むとは限りません。

グループの「当たり前」が入れ替わる様子は、連載の同調圧力の記事でも紹介しました。少数の人が新しいやり方を続けることで、定着していたルールがひっくり返った実験です。社会の「当たり前」も、私たち一人ひとりのふるまいと無関係ではないのでしょう。

日常で気づいてみる

昔のドラマやコマーシャルにふれる機会があったら、今とは違う「当たり前」を少しだけ探してみてください。見つけた違いは、社会の「当たり前」が動いてきた足あとです。

潜在意識に重なる社会の「当たり前」は、宿命のように固まったものではない。社会とともに動き、ときには止まり、戻ることもある。 変わりうるからこそ、今の「当たり前」がどちらへ向かっているのかに、目を向ける意味があるのでしょう。

考えるための問い

  • 子どものころの「当たり前」で、今は変わったと感じるものは何ですか? 今も変わっていないと感じるものは?
  • 社会の「当たり前」が変わっていくとき、そこには、誰のどんなふるまいが関わっていると思いますか?

「わかったつもり」から「知ろうとする」へ — 理解することと、責任を持つことは両立する

「偏見なんて、誰にでもあるものだから仕方ないよね」。そんな言葉に、どこかモヤモヤしたことはありませんか? 反対に、自分の中の偏見に気づいて、「私はなんてひどい人間なんだ」と、自分を強く責めてしまったことはないでしょうか。

偏見のしくみを理解することは、偏見を許すことになってしまうのでしょうか。

偏見が生まれるしくみを理解することと、自分のふるまいに責任を持つことは、両立すると考えられます。しくみを知ることは言い訳のためではなく、見方を訂正していくための足場になるからです。

よくある受け止め方を、くらべてみましょう。

受け止め方 起こりやすいこと(例)
誰にでもあるから、仕方ない 不利益を受けた人の経験が、置き去りになる
偏見を持つのは、ひどい人だけ 自分の中の偏見を、認めにくくなる
しくみを知り、責任も考える 見方の出どころを問い直し、訂正していける

この記事で見てきたように、潜在意識には、社会で見聞きしてきた「当たり前」が重なっています。そのしくみを知ることは、自分を責めすぎないための助けになります。けれど、しくみを知ることは、不利益を小さく扱ってよい理由にはなりません。

誰が、どんな経験をしたのか。どんな行動や決まりごとが、不利益を生んだのか。それを確かめることと、心のしくみを理解することは、同時にできるのです。

ここで、はっきりお伝えしておきたいことがあります。

  • 差別を受けた人の潜在意識が、差別を引き寄せたわけではない
  • 差別を受けた人が、相手を理解したり、教えたりする役目を負う必要はない
  • とっさの反応の説明は、ふるまいや決まりごとの責任を消すものではない

責任は、一人ひとりの心の中だけにあるわけでもありません。評価のしかたや、結果を確かめるしくみのように、個人の心がけとは別の入口から考える見方もあります。

【ポイント2】では、血液型のようなカテゴリーで、相手を「わかったつもり」になる心を見てきました。カテゴリーには、相手を理解し始める手がかりになる面があります。とはいえ、一人の人の希望や経験、力をカテゴリーから決めてしまうと、その人から新しいことを受け取る機会を失ってしまいます。

大切なのは、自分の見方を守ることより、訂正できる状態にしておくことなのかもしれません。

では、見方は本当に訂正できるのでしょうか。それを考えるヒントになる実験があります。

ある心理学の実験では、参加者に、はじめて知る人物について、その人の行動を知ってもらいました。そのあとで、先に知った行動の意味をがらりと読み替えるような情報を伝えます。たとえば、乱暴に見えた行動が、じつは誰かを助けるためだったとわかる、というような情報です。

その結果、次のことがわかりました。

  • 考えるより先に働く評価まで、すっかり逆転した
  • ただ別の情報をつけ加えただけでは起きず、先の情報を読み替えられるときに起きた
  • 新しい情報を、じっくり考える余裕があるときに起きた
  • 読み替えた評価は、3日後にも続いていた

とっさの評価は、一度できたら変わらないものではありませんでした。相手について知り、意味を考え直すことで、とっさに働く評価まで描き直されたのです。「知ろうとする」ことには、たしかな意味があると言えそうです。

ただし、この実験から言えることには限りがあります。

  • 実験のために用意された、はじめて知る人物への印象の話
  • 長年しみこんだ社会の偏見が、一度の説明で消えるという話ではない

連載の知識の記事では、説明して穴が見つかるのは失敗ではなく、学び直す場所がわかる合図だとお伝えしました。人を見る目も、同じなのかもしれません。「思っていた人と違った」という発見は、見方を描き直すための大切な合図です。

記事の冒頭では、会う前の想像を、鉛筆の下書きにたとえました。下書きは、描き直せるからこそ下書きです。

理解することと、責任を持つことの関係を、図で整理してみます。

flowchart TD
    A["偏見が生まれる
しくみを知る"] B["理解する
なぜ浮かぶのか"] C["責任を持つ
誰に何が
起きたのか"] D["自分を
責めすぎない"] E["不利益を
軽く扱わない"] F["見方の出どころを
問い直す"] G["目の前の一人を
知ろうとする"] A --> B A --> C B --> D C --> E D --> F E --> F F --> G classDef know fill:#EDE9FE,stroke:#7C3AED,stroke-width:2px,color:#2E1065 classDef understand fill:#E0F2FE,stroke:#0284C7,stroke-width:2px,color:#082F49 classDef resp fill:#FEF3C7,stroke:#D97706,stroke-width:2px,color:#451A03 classDef meet fill:#DCFCE7,stroke:#16A34A,stroke-width:2px,color:#052E16 class A know class B,D understand class C,E resp class F,G meet linkStyle default stroke:#94A3B8,stroke-width:2px

理解することと責任を持つことは、どちらか一方を選ぶものではありません。同じところへ向かう、二本の道のようなものです。

私たちは、生まれる前からある言葉や役割、画像の中で、世界の見方を覚えてきました。見方のすべてを、自分で選んだわけではありません。けれど、見方の出どころを知ることは、それを「当然の現実」と思いこむことから、一歩離れるきっかけになります。

潜在意識は、社会から見方を学ぶ。その見方に気づき、知ろうとし、訂正していく自由も、私たちの心にはある。 偏見を「ない」と言い切るより、「あるかもしれない」と認めたうえで、目の前の一人に出会い直していく。人を理解するということは、その積み重ねなのでしょう。

考えるための問い

  • 「思っていた人と違った」と感じたとき、あなたはその発見を、どう受け止めてきましたか?
  • 偏見のしくみを知った今、あなたが「知ろうとしたい」と思うのは、誰のどんな話でしょうか?

【ポイント3】で見えた潜在意識

紐解いたこと 見えた潜在意識のすがた
偏見テストで本音はわからない 反応の傾向は映しても、心のすべてを語るわけではない
社会の「当たり前」も変わっていく 社会とともに動くが、話題によって変わり方が違う
理解と責任は両立する 学んだ見方に気づき、知ろうとし、訂正していける

偏見はどこから来て、なぜ働き、どこで見直せるのか。この記事を通して、その道すじが少しずつ見えてきました。次のまとめでは、「偏見は生まれつき?」「無意識の偏見研修は意味がない?」といったよくある疑問にお答えしながら、見えてきた潜在意識のすがたをふり返ります。

【ポイント3】偏見は「本音」でも「宿命」でもない — 潜在意識から見た、見方を訂正する自由

まとめ|偏見を「ない」と言い切らなくていい、潜在意識に重なる「当たり前」は見直せる

名前や肩書きを聞いただけで、会う前から相手を想像してしまう。この記事は、そんな誰にでもある場面から出発しました。

まとめの答えから、はじめましょう。偏見を「ない」と言い切る必要はありません。潜在意識には、社会で見聞きしてきた「当たり前」が重なっています。その重なりは、隠れた本音でも変えられない宿命でもなく、気づき、知ろうとすることで見直していけると考えられます。

この章では、記事全体で見えてきた潜在意識のすがたをふり返り、よくある疑問にお答えします。これまでの連載の記事とのつながりも、一緒に確かめていきましょう。

この章でわかること

  • この記事で見えてきた、潜在意識のすがた
  • 「偏見は生まれつき?」「無意識の偏見研修は意味がない?」など、よくある7つの疑問への答え
  • 偏見や差別に悩んだときの相談先
  • これまでの連載の記事とのつながりと、次に考えたい問い

「社会の当たり前が重なる心」から見えた潜在意識のすがた — 人は見方を学び、訂正もできる

この記事で紐解いてきたことを、ひとつの流れにまとめてみます。

flowchart TD
    A["言葉・画像
大人のふるまい"] B["社会の当たり前を
覚えていく"] C["会う前の相手に
下書きが重なる"] D["カテゴリーという
理解の近道"] E["わかったつもり
ひいき・評価の差"] F["本音でも
宿命でもない"] G["気づいて
知ろうとする"] H["人は見方を学び
訂正もできる"] A --> B B --> C C --> D D --> E E --> F F --> G G --> H classDef p1 fill:#FEF3C7,stroke:#D97706,stroke-width:2px,color:#451A03 classDef p2 fill:#E0F2FE,stroke:#0284C7,stroke-width:2px,color:#082F49 classDef p3 fill:#EDE9FE,stroke:#7C3AED,stroke-width:2px,color:#2E1065 classDef grow fill:#DCFCE7,stroke:#16A34A,stroke-width:2px,color:#052E16 classDef view fill:#FCE7F3,stroke:#DB2777,stroke-width:2px,color:#500724 class A,B,C p1 class D,E p2 class F p3 class G grow class H view linkStyle default stroke:#94A3B8,stroke-width:2px

図の上から順に、章ごとの内容をふり返っておきましょう。

  • 記事のはじめ:会う前の想像は、社会で見聞きしてきたイメージで描く下書きのようなもの。固定観念・偏見・差別は、関係しあいながらも別のもの
  • 【ポイント1】:潜在意識は、大人のふるまいや、くり返し目にする言葉や画像から、社会の「当たり前」を覚えていく。ただし、知っていることと信じていることは違う
  • 【ポイント2】:人をカテゴリーで見るのは、少ない情報で相手を理解する近道。その近道には、わかったつもり・ひいき・評価の差という影もある
  • 【ポイント3】:偏見テストの一回の結果で本音は判定できず、社会の「当たり前」も動いていく。理解することと責任を持つことは両立する

こうして並べてみると、偏見は、特別な悪意を持った誰かだけの問題ではなさそうです。社会の中で生きる私たちが、誰でも通る道の上にあるものに見えてきます。社会で見聞きした「当たり前」を覚えて目の前の人に重ね、それでも気づけば描き直していける心の働き。この記事で見えてきたのは、そんな潜在意識のすがたでした。

あなたの中にも、どこかで受け取った「当たり前」はありませんか?

あなたの中の「当たり前」(例) どこから来たのか(例)
家族のごはんを作るのは、お母さん 子どものころに見たコマーシャルや絵本
年上の人には、意見しないもの 部活や職場での、先輩とのやり取り
リーダーは、声が大きく堂々とした人 ドラマの配役や、学校の係決め
あの人たちとは、距離を置くもの 家族の会話や、大人の表情
〇型の人は、きっちりしている テレビの占いや、友だちとの会話

どの「当たり前」も、あなたがわざわざ選んだものではないでしょう。けれど、出どころに気づいた今、それをこれからも持ち続けるかどうかは、あなた自身が考えられることです。

とはいえ、この記事でお伝えしたことには、確かさの違うものが混ざっています。

  • 研究でわかってきたこと:子どもは大人の接し方から好みを学ぶことがある。くり返し見る画像で、職業と性別の結びつきが偏ることがある。同じ書類でも、名前で評価が変わった実験がある。偏見テストの一回の結果で、本音は判定できない。社会の平均的な反応も、話題によって変わっていく
  • まだはっきりしていないこと:一人ひとりの心の中の反応と、日常の不利益が、どれくらい結びつくのか。短い取り組みを越えて、何が、どれだけ長く変わるのか。欧米の結果が、日本でどこまで当てはまるのか。検索やAIが、長い目で見て人の選択をどれだけ変えるのか
  • 考え方(答えはひとつではない):とっさの反応だけが本当の自分ではない。理解することと責任を持つことは両立する。見方は、訂正できる状態にしておける

「人は社会から見方を学ぶ」という見方そのものは、新しいものではありません。70年ほど前に偏見を本格的に論じた、心理学者オルポートの古典があります。そこでは、人は直接会った経験だけでなく、言い伝えや象徴からも「自分たちの側」を学んでいく、と論じられていました。これは実験で確かめられた事実というより、人間についての古典的な考え方として受けとめてください。

では、私たちの見方の多くが社会から受け取ったものだとしたら、「自分らしく生きる」とは、どういうことなのでしょうか。

受け取った「当たり前」を、そのまま生きることでしょうか。それとも、その出どころに気づき、自分が大切にしたいものを選び直しながら生きることでしょうか。

これは、いつも正しい見方を選べる、完ぺきな人になろうという話ではありません。見方がずれていたと気づいたときに、描き直せる自分でいること。その積み重ねの中に、答えがあるのかもしれません。

考えるための問い

  • あなたの中の「当たり前」のうち、これからも持ち続けたいものと、選び直したいものは、それぞれ何ですか?
  • 誰かを「わかったつもり」になっていたと気づいたのは、どんな出会いのときでしたか?

よくある質問(FAQ)—「偏見は生まれつき?」「無意識の偏見研修は意味がない?」は本当?

偏見と潜在意識について、よく聞かれる疑問にお答えします。

Q1. 偏見は生まれつきですか?

生まれつき、とは言えません。

アメリカの白人の子どもと大人をくらべた研究があります。子ども向けの偏見テストでは、6歳の子どもにも、白人を黒人より好ましく結びつける偏りが見られました。10歳の子どもと大人では、その偏りは同じくらいの大きさでした。一方、言葉で答える偏りは、年上になるほど小さくなり、大人では見られなくなっていました。

ここで大切なのは、幼いころから測れることは、生まれつきの証拠ではないという点です。

  • その年齢になるまでに、まわりから学んだ可能性を除けない
  • 同じ子どもを何年も追いかけた調べではない
  • 【ポイント1】で見たように、子どもは言葉で教わらなくても、大人の接し方から好みを学ぶことがある

偏見は、生まれたときから心に組みこまれているものではなさそうです。社会の中で、早い時期から学ばれていくものと考えるほうが、この記事で見てきたことと合っています。

Q2. 無意識の偏見研修(アンコンシャス・バイアス研修)は、意味がないのですか?

「意味がない」とまでは言えません。ただし、「研修を受ければ偏見が消える」とも言えません。

偏見テストの数字を変えようとする試みを、たくさん集めて調べた研究があります。数字そのものは変わることが多いものの、その変化は小さく、ふだんの行動の変化はさらに小さいものでした。数字が変わったから行動も変わった、という証拠も得られていません。

人種についての偏りを小さくする短い取り組みを、いくつもくらべた大規模な実験もあります。直後は、どの取り組みでもテストの偏りが小さくなりました。けれど、数時間から数日たつと、その差は残っていませんでした。ある国際企業でのオンライン研修の実験でも、変わったのは一部の考え方で、実際の職場での行動の変化は限られていました。

こうした結果から、研修について考えるときは、次のことを分けて見る必要がありそうです。

見るところ 考えたいこと
直後のテストの数字 すぐに変わっても、続くとは限らない
本人が答える考え方 変わっても、行動が変わるとは限らない
職場での実際の行動 どんな場面で、どれだけ長く変わったのか
評価や採用などの結果 誰に、どんな結果が出ているのか

研修は、「当たり前」に気づくきっかけにはなりえます。一方で、偏見の問題を、研修一回で片づけることはできません。【ポイント3】でふれたように、評価のしかたや、結果を確かめるしくみの側から考える見方もあります。

Q3. 偏見を指摘すると、かえって逆効果ですか?

「必ず逆効果になる」とは言えません。

偏見を指摘された人がどう変わるかを調べた研究をまとめると、平均すると、その後の偏りは小さくなっていました。とくに、固定観念を使ったり認めたりすることが減る方向に、はっきりした変化が見られました。

この結果には、限りもあります。

  • 行動や、行動しようとする気持ちへの変化は、それより小さめだった
  • 頭の中の考え方としての偏見には、はっきりした変化は見られなかった
  • 多くは、アメリカの若い白人を対象にした実験室のような場面で、指摘の直後に測ったもの

大切なことが、もう一つあります。指摘する役目を、差別を受けた本人が負う必要はありません。【ポイント3】でお伝えしたとおり、差別を受けた人に、相手を教えたり変えたりする責任はないのです。

Q4. 交流したり話し合ったりすれば、偏見は減りますか?

条件がそろえば、減る方向の変化が見られています。ただし、いつでも必ず減るわけではありません。

  • 実際に顔を合わせて交流する実験をまとめると、平均すると偏見が減る方向だった。けれど、効果はさまざまで、人種や民族への偏見では弱かった
  • 家を一軒ずつ訪ねて短い対話をした実験では、トランスジェンダーの人への態度が、数か月後まで良い方向に変わっていた
  • 論拠を伝えるだけの会話より、お互いの経験を語り合う会話のほうが、小さいけれど続く変化が見られた

対話の実験は、態度を本人に答えてもらったもので、実際の差別がどれだけ減ったかまでを示したものではありません。同じ場所にいるだけで解決する、という話でもありません。差別を受けた人に、対話や交流を求めるものでもないのです。

【ポイント3】の、はじめて知る人への印象が描き直された実験とも、つながるところがあります。相手の経験を知り、意味を考え直すことが、見方を変えるきっかけになるのかもしれません。

Q5. 血液型の話で盛り上がるのも、よくないことですか?

話のきっかけとして楽しむことまで、否定する必要はないでしょう。気をつけたいのは、それで人を決めつけることです。

【ポイント2】で見たように、大規模な調査のデータでは、答えの違いのうち血液型で説明できる部分は、ごくわずかでした。

楽しみの範囲(例) 気をつけたい場面(例)
「〇型っぽいね」と笑い合う 「〇型だから、この仕事は任せられない」
占いを話題のひとつにする 役割や評価を、血液型で決める
自分の血液型の話をする 相手がいやがっているのに、決めつけ続ける

笑い話のつもりでも、評価や役割を決める理由になったとき、【ポイント2】で見た「わかったつもり」の影の側に入っていきます。

Q6. 「潜在意識は心の95%」「人の〇割は無意識に差別している」は本当ですか?

どちらも、裏づける根拠は見当たりません。

心理学では、潜在意識をひとつの量として測ることはしません。「すばやく起きる」「意図していない」「気づいていない」といった働きを、分けて調べています(記事のはじめ)。心全体を一つの数字で割り切るような測り方は、そもそも見当たらないのです。

「何割の人が無意識に差別している」という数字も、同じです。偏見の定義や測り方、調べた人たちによって、結果は大きく変わります。一つの割合にまとめられるような調べは、見当たりません。

大きな数字を見かけたときほど、「何を、誰で、どうやって測ったの?」と考えてみると、話を見きわめやすくなります。

Q7. 偏見や差別に悩んだとき、どこに相談すればいいですか?

ひとりで抱えこまないで、相談してください。 差別を受けたことは、あなたのせいではありません。偏見や差別による苦しさは、あなたの心の持ち方だけで解決しなければならないものでもありません。

次のような状態が続いているときは、医療機関(精神科や心療内科など)や相談窓口に相談することを考えてみてください。

  • 差別やいやがらせのことが頭から離れず、眠れない、食べられない状態が続いている
  • 気持ちの落ちこみや不安が強く、何をしても楽しめない
  • 学校や職場に行くのがつらく、生活に支障が出ている
  • 「消えてしまいたい」と思うことがある

暴力をふるわれていて、今すぐ危険がある場合は、ためらわずに110番に通報してください。

困りごと 相談先 連絡のしかた
差別や人権侵害の悩み全般 みんなの人権110番(法務省) 0570-003-110(平日8時30分〜17時15分)
子どものいじめや差別(大人からも可) こどもの人権110番(法務省) 0120-007-110(無料・平日8時30分〜17時15分)
日本語で話すのがむずかしい 外国語人権相談ダイヤル(法務省) 0570-090-911(平日9時〜17時・10の言語)
電話ではなく文章で相談したい インターネット人権相談受付窓口(法務省) 法務省の公式サイトから。後日メールか電話で回答
職場や就職活動での差別・嫌がらせ 総合労働相談コーナー(厚生労働省) 全国の労働局など。予約不要・無料。面談か電話
気持ちがつらい、話を聞いてほしい こころの健康相談統一ダイヤル 0570-064-556
「死にたい」「消えたい」ほどつらい #いのちSOS 0120-061-338(無料・24時間365日)
  • みんなの人権110番は、音声の案内にそって番号を選びます。女性の人権は1番、高齢者は2番、障害者は3番、そのほかの人権問題は4番です。以前の「女性の人権ホットライン」は、このダイヤルにまとめられました
  • 法務省の電話相談は、一部の電話からはつながらないことがあります。こどもの人権110番は、メールやチャット、手紙でも相談できます
  • インターネットの相談窓口には偽のサイトもあると、法務省が注意をよびかけています。法務省の公式サイトから入ってください
  • 総合労働相談コーナーは、学生や就職活動中の人、性的指向や性自認に関わる職場の悩みも相談できます。土日祝日と年末年始は休みです
  • こころの健康相談統一ダイヤルは、通話料がかかります。受付の曜日や時間は地域によって異なり、050で始まる番号からはつながりません

悩みに合わせて相談先を探したいときは、厚生労働省のサイト「まもろうよ こころ」も役に立ちます。受付時間などは変わることがあるので、最新の情報は各公式サイトで確認してください。

考えるための問い

  • この記事を読む前と今とで、「偏見は生まれつき」「研修を受ければ偏見は消える」といった考えへの見え方は、変わりましたか?

この記事のまとめ — 偏見はどこから来て、どこで見直せるのか

記事全体を、章ごとにふり返っておきましょう。

章 わかったこと 考えたい問い
記事のはじめ 会う前の想像は、社会のイメージで描く下書き その想像は、本人から来たもの?
【ポイント1】 態度・言葉・画像から、社会の当たり前を覚えていく 自分で確かめたイメージは、どれくらい?
【ポイント2】 カテゴリーは理解の近道。影として不利益も生む 「〇〇だから」と説明したくなるのは、誰?
【ポイント3】 本音でも宿命でもない。見方は訂正できる 「思っていた人と違った」をどう受け止める?
まとめ 偏見を「ない」と言い切らず、見直していける どの「当たり前」を選び直したい?

潜在意識は、社会の「当たり前」を学び、人に重ねます。私たちは、その重なりに気づき、見方を訂正していくこともできます。

ここで、記事の冒頭の【考えてみよう】に戻ってみましょう。読み終えた今、あの問いは、少しちがって見えるでしょうか。

冒頭の問い この記事で見えてきたこと
教わっていないのに、距離を置くものと感じていたことは? 大人の接し方から、言葉より先に学ぶことがある
「〇〇といえばこういう人」を、画面で見た覚えは? くり返し見る画像や言葉が、結びつきの材料になる
血液型や出身地で、わかった気になったことは? 説明できる気がすることと、根拠があることは別
初めて会ったのに、自分たちの側をひいきしたくなったことは? 分けられただけで、敵意がなくてもひいきは起こりうる
偏見テストで本音がわかると聞いて、どう感じる? 一回の結果で本音は判定できない。傾向は本人も読めた
昔と今で、変わった「当たり前」は? 社会の平均も動く。ただし、いつも同じ向きとは限らない

この連載では、記事ごとに見えてきた潜在意識のすがたを、少しずつ一枚の見取り図にまとめています。今回の「偏見」を加えると、見取り図は次のようになります。

flowchart TD
    S1["劣等感
人と比べる"] S2["同調圧力
周りの本音を
推し量る"] S3["予測
世界を
先回りして読む"] S4["知識
わかった気に
なる"] S5["自己評価
自分の力を
見積もる"] S6["環境
まわりに
反応する"] S7["人間関係
大切な人を重ね
出会いで描き足す"] S8["偏見
社会の当たり前を
人に重ねる"] Z["潜在意識は
考える前に働く
しくみの集まり"] S1 --> S2 S2 --> S3 S3 --> S4 S4 --> S5 S5 --> S6 S6 --> S7 S7 --> S8 S8 --> Z classDef past fill:#F1F5F9,stroke:#64748B,stroke-width:2px,color:#0F172A classDef now fill:#FCE7F3,stroke:#DB2777,stroke-width:2px,color:#500724 classDef common fill:#DCFCE7,stroke:#16A34A,stroke-width:2px,color:#052E16 class S1,S2,S3,S4,S5,S6,S7 past class S8 now class Z common linkStyle default stroke:#94A3B8,stroke-width:2px

これまでのテーマ 今回の「当たり前が重なる心」とのつながり
劣等感 人と比べるものさしにも、社会の当たり前がまじっているのかもしれない
同調圧力 「みんなはそう思っている」という思いこみが、当たり前を支え続けることがある
予測 カテゴリーは、人についての予測の材料。「違った」が見方を更新する
知識 血液型で人をわかったつもりになる心は、知識のわかったつもりに似ている
自己評価 考えるより先に浮かぶ思いが、本音とは限らない点で重なる
環境 見るだけで操られるわけではないが、くり返し見るものは結びつきの材料になる
人間関係 相手に重なるのは、昔の大切な人だけでなく、社会で見聞きしたイメージでもある

こうして並べると、潜在意識は、心の奥に住む「もう一人の自分」とは、ずいぶん違う姿に見えてきます。比べる、推し量る、先回りする、わかった気になる、見積もる、反応する、重ねる。考える前に働く、そんなしくみの集まりです。今回の記事で加わったのは、そのしくみの材料に、社会から受け取った「当たり前」がまじっているという姿です。受け取ったものだからこそ、気づけば描き直していける、ということも見えてきました。

この見取り図は、連載をつなぐためのものです。ひとつのしくみとして、まとめて確かめられたものではありません。記事を重ねるたびに、描き直していきます。

次に考えたい問い

  • 社会の「当たり前」は、自分自身を見る目にも重なっているのでしょうか?
  • 「どうせ無理だ」とあきらめる気持ちは、潜在意識のどこから生まれるのでしょうか?
  • 私たちは、次の世代に、どんな「当たり前」を手わたしていくのでしょうか?

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偏見を「ない」と言い切らなくていい。私たちは誰もが、生まれる前からある言葉や画像、人のふるまいの中で、世界の見方を覚えてきました。その見方は、目の前の人に重なり、ときに相手の姿を見えにくくします。それでも、重なりに気づき、知ろうとし、描き直していくことはできます。あなたが次に「思っていた人と違った」と感じたとき、それは、見方が一段広がった合図なのかもしれません。

考えるための問い

  • 記事を読み終えた今、あなたの「当たり前」は、いつ、どこで身につけたものだと思いますか? 読みはじめたときと、答えは変わりましたか?

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まとめ|偏見を「ない」と言い切らなくていい、潜在意識に重なる「当たり前」は見直せる

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