アレスとは?父ゼウスに「いちばん憎い」と言われた戦いの神
戦いの神アレスと聞くと、乱暴で恐ろしい神を思い浮かべるかもしれません。ホメロスの『イリアス』には、そのアレスが戦場で傷つき、父ゼウスのもとへ逃げ帰る場面があります。
父の口から出たのは、「オリュンポスの神々の中で、おまえがいちばん憎い」という厳しい言葉でした。ところが、その直後に父がしたことは、言葉とは正反対のものでした。
この記事では、アレスがどんな神なのかを紹介し、『イリアス』第5巻の物語を原典にそってたどります。強く見える神の潜在意識に何があったのかも、一緒に考えてみましょう。
この記事でわかること
- アレスはどんな神か(家族・従者・ローマのマルス)
- 戦いの神が、人間の英雄に傷つけられたいきさつ
- 「いちばん憎い」と言った父ゼウスが、直後にしたこと
- 怒り・敵意・攻撃の違いと、潜在意識から見たアレスの物語
https://youtu.be/laFlsb8FO3s
ひと目でわかるアレス
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| どんな神か | 戦いの激しさそのものをつかさどる神 |
| 父と母 | 神々の王ゼウスと、女王ヘラ |
| きょうだい | 青春の女神ヘベ、出産の女神エイレイテュイア、鍛冶の神ヘファイストス |
| 連れている神 | 恐れと敗走をもたらすフォボスとデイモス |
| 呼び名 | 「人間の災い」「城壁を打ち破る者」 |
| ローマでの名前 | 軍神マルス |
| ゆかりの土地 | ギリシャの北のトラキア |
物語の流れを図で確認
flowchart TD
A1["アテナに
連れ出される"]
A2["アポロンに
呼ばれて戻る"]
A3["英雄ディオメデスが
退く"]
A4["ゼウスが
アテナを差し向ける"]
A5["姿を消した
アテナが手を貸す"]
A6["九千人、一万人の
叫び"]
A7["黒い雲となって
天へ"]
A8["父の叱責
「いちばん憎い」"]
A9["「おまえは
私の子だ」"]
A10["手当てを受けて
父のかたわらへ"]
A1 --> A2 --> A3 --> A4 --> A5 --> A6 --> A7 --> A8 --> A9 --> A10
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アレスとはどんな神?家族と従者、ローマのマルス
アレスは、オリュンポスの十二の神々に数えられる戦いの神です。はじめに、家族から見ていきましょう。
父ゼウスと母ヘラの子
ヘシオドスの『神統記』によると、ゼウスとヘラの間には、ヘベ、アレス、エイレイテュイアが生まれました。
| 名前 | どんな神か |
|---|---|
| アレス | 戦いの神 |
| ヘベ | 青春の女神。物語の後半で、アレスに美しい衣を着せる |
| エイレイテュイア | 出産を助ける女神 |
| ヘファイストス | 鍛冶の神。母ヘラが同じ兄弟 |
「ヘラが夫と交わらずに一人で産んだ」と伝わるのは、アレスではなく、ヘファイストスのほうです。この話はヘシオドスの『神統記』に出てきます。ホメロスの詩では、ヘファイストスもゼウスとヘラの子として語られます。どちらの伝えでも、アレスとヘファイストスが「母が同じ兄弟」であることは変わりません。
戦場に連れていく、恐れの神々
『イリアス』には、アレスが戦場へ向かうとき、フォボスとデイモスという二人の神に馬をつながせる場面があります。どちらも、戦場に恐れをまき散らす神です。
- フォボス:敵を逃げ出させる恐れ(敗走)を表す
- デイモス:身のすくむような恐れを表す
「フォビア(恐怖症)」という言葉は、このフォボスと同じギリシャ語から来ています。
アレスには、恐ろしい呼び名もあります。
| 呼び名 | 意味 |
|---|---|
| 人間の災い | 人間に災いをもたらす者 |
| 城壁を打ち破る者 | 町の守りを打ち壊す者 |
どちらも『イリアス』第5巻で、女神アテナやアポロンが、アレスに呼びかけるときの言葉です。
知恵の女神アテナとは、よく比べられる
同じく戦いにかかわる神でも、知恵の女神アテナとアレスは、よく比べられます。アテナは作戦と守りの戦い、アレスは戦いの激しさそのもの、と説明されることの多い二柱です。
ただ、アテナも力で戦う女神で、二柱が一緒に祭られた土地もありました。二柱の関係は、シリーズ第3話でくわしく紹介します。
ローマのマルスと「3月」
ローマでは、アレスは軍神マルスと重ねられました。
- マルスは、ローマを建てたロムルスの父とされる、大切な神でした
- 英語で3月を意味する「マーチ」は、「マルスの月」という意味のラテン語から来ています
ギリシャの北にあるトラキアは、アレスのふるさとのように語られる土地です。『イリアス』には、アレスがトラキアから戦いへ出ていく、というたとえがあります。
アレスが登場するおもな神話
アレスの物語は、戦場の話だけではありません。このシリーズでは、次の神話を一つずつ紹介していきます。
| 回 | 神話の内容 |
|---|---|
| 第1話(この記事) | 父ゼウスに「いちばん憎い」と言われた戦いの神 |
| 第2話 | 巨人の兄弟に、青銅の壺へ13か月閉じこめられる |
| 第3話 | 知恵の女神アテナとの対決と、並んで祭られた二柱 |
| 第4話 | 息子を失った父アレスの涙と、娘を守った裁き |
| 第5話 | 愛の女神アフロディテとの恋と、恐れと調和の子どもたち |
| 第6話 | 竜の泉と英雄カドモス、娘ハルモニアの婚礼 |
| 第7話 | 祭られた戦いの神と、平和を願うアレス讃歌 |
人間に傷つけられた戦いの神|『イリアス』第5巻
舞台は、トロイア戦争の戦場です。アレスはトロイア側、アテナはギリシャ側について戦っていました。
戦場から連れ出され、ふたたび戻る
戦いの初め、アテナはアレスの手を取って、こう語りかけます。
父ゼウスの怒りを避けて、二人で戦いから離れましょう。
アテナはアレスを、スカマンドロス川の岸辺に座らせました。ところが、ギリシャの英雄ディオメデスが、愛の女神アフロディテの手首を槍で傷つけます。
アポロンに呼ばれたアレスは、トラキアの将アカマスの姿をかりてトロイア軍を励まし、戦場へ戻りました。
英雄ディオメデスが退いた理由
戦場に戻ったアレスは、戦いの女神エニュオとともにトロイア軍の先頭に立ち、巨大な槍を振るいます。
ディオメデスには、ほかの兵士にはない力がありました。アテナが目の霧を取り払い、神と人を見分けられるようにしていたのです。
アレスの姿に気づいた英雄は、激流を前に立ちすくむ旅人のように身ぶるいし、味方にこう命じました。
敵に顔を向けたまま、下がれ。神と戦ってはならない。
父ゼウスが差し向けた女神アテナ
ギリシャびいきの女神ヘラは、オリュンポスの頂にいるゼウスにたずねます。
あの乱暴者を打ちこらしめて、戦いから追い出してもよいでしょうか。
ゼウスの答えは、こうでした。
アテナを差し向けよ。あれは誰よりも、アレスを痛い目にあわせてきた。
戦場に降りたアテナは、ディオメデスを励まします。アテナの言葉によると、アレスは「ギリシャ側で戦う」と約束しながら、トロイア側についた裏切り者でした。ただ、この約束の場面そのものは、『イリアス』には描かれていません。
姿を消すハデスの兜
| 場面 | 原典の描写 |
|---|---|
| 戦車に乗る | アテナが御者を押しのけ、ディオメデスの戦車に乗りこむ |
| 車軸がきしむ | 女神の重みで、樫の車軸が大きくきしむ |
| 手綱を取る | アテナ自身が手綱を取り、アレスへ馬を走らせる |
| 姿を消す | 冥府の神ハデスの兜をかぶり、アレスから姿を隠す |
九千人、一万人の叫び
アレスはディオメデスに向かって、青銅の槍を突き出します。その槍を、見えないアテナが手でつかんで、そらしました。ディオメデスが突き出した槍は、アテナの力で、アレスの下腹へと押し込まれます。
アレスの叫びは、九千人、一万人の兵士がいっせいに上げる雄たけびのようでした。ギリシャ軍もトロイア軍も、震え上がったといいます。
傷ついたアレスは、暑い日のあとに嵐を呼ぶ黒い雲のように、雲とともに天へ昇っていきました。
人間一人に負けたのではありません。女神アテナが、自ら手を貸していたのです。
神の体に流れる「イコル」
同じ第5巻には、神々の体についての説明もあります。神々はパンを食べず、ぶどう酒も飲まないので、人間の血の代わりに「イコル」が流れている、というものです。
神も傷つき、痛みを感じます。それでも死ぬことはない、というのが、ホメロスの描く神々の姿です。
父の言葉と、父の手当て
天に着いたアレスは、父ゼウスのもとへ向かいます。ここからが、この物語の山場です。
傷ついた息子の訴え
アレスは、心を痛めて父のかたわらに座り、傷から流れる神の血を見せて訴えました。
- こんな乱暴を見ても、腹が立たないのですか
- あの娘アテナだけは、叱りもせず好きにさせている
- それは、あの娘があなたの子だからだ
- 私は、速い足で、やっと逃げてきた
「おまえがいちばん憎い」
ゼウスは、眉の下からにらんで答えました。
そばに座って、泣き言を言うな。この裏切り者め。オリュンポスの神々の中で、おまえがいちばん憎い。いつも、争いと戦いばかり好んでいる。手に負えない母ヘラの気性に、そっくりだ。
「裏切り者」は、アテナがアレスを責めたときと同じ言葉です。ギリシャ語の原文で、この言葉はホメロスの詩の中で、この二か所にしか出てきません。
思い出してください。「アテナを差し向けよ」と言ったのは、ゼウス自身でした。
それでも「おまえは私の子だ」
ところが、父の言葉はここで変わります。
だが、おまえが苦しむのを、これ以上見てはいられない。おまえは、私の子だ。ほかの神の子だったら、とっくに地の底へ落としているところだ。
「地の底」は、昔ゼウスと戦った神々(ティタン)が閉じこめられた場所を指す、と読まれています。
flowchart TD
C1["アレスの訴え
「あの娘は
あなたの子だから」"]
C2["ゼウスの答え
「おまえは
私の子だ」"]
C3["同じ理由
「わが子だから」"]
C1 --> C3
C2 --> C3
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| 人物 | 言ったこと | 理由 |
|---|---|---|
| アレス | アテナを叱らないのはおかしい | あなたの子だから |
| ゼウス | おまえを見捨てない | 私の子だから |
アレスが父を責めた理由と、父がアレスを救った理由は、同じ「わが子だから」でした。叱る言葉と救う言葉が、途切れない一続きの台詞の中に並んでいます。
いちじくの汁のように治った傷
ゼウスは、神々の医者パイエオンに、息子の手当てを命じました。これが、「その直後に父がしたこと」です。
- パイエオンが、痛みを消す薬を傷に塗る
- いちじくの汁を白い乳に入れてかき混ぜると、乳はすぐに固まる。それと同じくらいの速さで、傷はふさがった
- アレスは、死ぬことのない神だった
- 青春の女神ヘベが体を洗い、美しい衣を着せた
アレスは父ゼウスのかたわらに座り、誇らしげにしていました。叱られても、追い出されはしなかったのです。
flowchart TD
B1["傷を見せて
訴えるアレス"]
B2["「いちばん憎い」
と叱る父"]
B3["「これ以上
見ていられない」"]
B4["「おまえは
私の子だ」"]
B5["医神パイエオンが
手当て"]
B6["父のかたわらに
座るアレス"]
B1 --> B2 --> B3 --> B4 --> B5 --> B6
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class B2 scold
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潜在意識から読み解く「強さ」と「痛み」
ここからは、物語をもとにした考察です。原典に書かれていることと、読み手としての考えを分けてお読みください。
強く見える人ほど、弱さを見せられない?
戦いの神にとって、強さは役目そのものです。強く見える人ほど、潜在意識の奥に「弱さを見せたら、居場所がなくなる」という思いを抱えているのかもしれません。
でも、アレスは傷を父に見せ、叱られても、父のかたわらの居場所を失いませんでした。厳しい言葉の奥には、わが子を見捨てない思いがあったのかもしれません。
flowchart TD
D1["強さが
役目の神"]
D2["弱さを見せたら
居場所がなくなる?"]
D3["傷を父に
見せたアレス"]
D4["叱られても
追い出されない"]
D5["父のかたわらに
居場所が残る"]
D1 --> D2 --> D3 --> D4 --> D5
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class D1 strong
class D2 fear
class D3,D4,D5 goal
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物語から考えられることを、三つにまとめます。
- 強さを求められる立場の人ほど、つらさを口にしにくいことがある
- 弱さを見せても、関係が壊れるとは限らない
- 厳しい言葉と、相手を思う気持ちは、同じ人の中に同時にあり得る
怒り・敵意・攻撃は別のもの
現代の心理学では、次の三つを分けて考えます。
| 言葉 | 意味 |
|---|---|
| 怒り | 心にわき上がる感情 |
| 敵意 | 相手を悪く思う考え方 |
| 攻撃 | 相手を傷つけようとする行動 |
2024年に発表された研究のまとめ(メタ分析)でも、この三つは別々のものとして調べられています。怒りを感じることは、誰かを傷つけることと同じではありません。
アレスは父の前で、アテナへの怒りを言葉にしました。怒りを言葉にすることと、相手を傷つけることの違いは、このシリーズの中で、アレスの物語を通して見ていきます。
怒りがおさまらず、つらい状態が続くときは、一人で抱えこむのではなく、身近な人や専門の相談窓口に話してみてください。
よくある質問(FAQ)
Q1. アレスはどんな神ですか?
ギリシャ神話の戦いの神です。神々の王ゼウスと女王ヘラの子で、オリュンポスの十二の神々に数えられます。戦いの激しさそのものをつかさどり、『イリアス』では「人間の災い」「城壁を打ち破る者」と呼ばれます。
Q2. アレスはなぜ父ゼウスに「いちばん憎い」と言われたのですか?
『イリアス』第5巻で、傷ついて逃げ帰ったアレスを、ゼウスが叱ったときの言葉です。ゼウスは「いつも争いと戦いばかり好んでいる」「母ヘラの気性にそっくりだ」と理由を挙げました。ただ、同じ台詞の中で「おまえは私の子だ」と言い、すぐに手当てを命じています。
Q3. アレスとマルスは同じ神ですか?
まったく同じではありません。ローマの軍神マルスは、ギリシャのアレスと重ねられました。ただ、ローマではマルスは建国者ロムルスの父とされ、とても大切にされた神です。
Q4. アレスとアテナは、どちらが強いのですか?
『イリアス』には、アテナがアレスに勝つ場面が二度あります。第5巻ではディオメデスの槍を導き、第21巻では大きな石を投げてアレスを倒します。二柱の関係は、シリーズ第3話でくわしく紹介します。
Q5. フォボスとデイモスとは、どんな神ですか?
アレスに付き従い、戦場に恐れをまき散らす神です。ヘシオドスの『神統記』では、アレスと愛の女神アフロディテの子とされます。二柱の物語は、シリーズ第5話で紹介します。
Q6. アレスとヘファイストスは、どんな関係ですか?
母ヘラが同じ兄弟です。ヘシオドスの『神統記』では、ヘファイストスはヘラが一人で産んだ子とされます。ホメロスの詩では、どちらもゼウスとヘラの子です。
Q7. ギリシャ神話の神も、けがをするのですか?
します。『イリアス』第5巻では、アフロディテもアレスも、人間の英雄の槍で傷つきます。神々の体には人間の血の代わりに「イコル」が流れていて、傷ついても死ぬことはないとされます。
Q8. 3月の「マーチ」の語源は、本当にマルスですか?
本当です。英語で3月を意味する「マーチ」は、「マルスの月」という意味のラテン語から生まれた言葉です。
まとめ|「いちばん憎い」の奥にあった、父の手
| 問い | 答え |
|---|---|
| アレスとは? | ゼウスとヘラの子で、戦いの激しさをつかさどる神 |
| 誰に傷つけられた? | 英雄ディオメデス。ただし槍を導いたのは女神アテナ |
| 父の言葉は? | 「オリュンポスの神々の中で、おまえがいちばん憎い」 |
| 父がしたことは? | 「おまえは私の子だ」と、医神パイエオンに手当てを命じた |
| 潜在意識から見ると? | 弱さを見せても居場所は残った、という読み方 |
乱暴で恐ろしいと思われがちな戦いの神も、傷つけば痛み、父のもとへ逃げ帰りました。父は厳しく叱りながら、同じ台詞の中で「おまえは私の子だ」と言い、すぐに手当てを命じました。
強く見える人の痛みに、気づいたことはありますか。アレスの物語は、そんな問いを私たちに投げかけているように思えます。