アレス讃歌とは?戦いの神に平和を願った、17行の祈りの歌を読み解く

目次

    アレス讃歌とは?戦いの神に、なぜ平和を願ったのか

    戦いの神アレスに捧げられた、古い祈りの歌があります。父ゼウスに「いちばん憎い」とまで言われた神に、ひとりの人間が語りかける歌です。

    その人が求めたのは、戦う力だけではありませんでした。歌の結びで願ったのは、自分の怒りをしずめ、平和の中にとどまる勇気です。

    なぜ平和を、戦いの神に願ったのでしょうか。この記事では、石に残る記録と町に伝わる話、ローマの祈り、アレス讃歌の言葉を順にたどります。戦いの神と人との距離を見たうえで、潜在意識から考えてみましょう。

    この記事でわかること

    • 兵士の誓いを、アレスが見とどけた町
    • スパルタが、戦いの神の像を鎖でつないだわけ
    • テゲアの「女たちの宴のアレス」という呼び名
    • ローマの農夫が、マルスを「父」と呼んで祈った言葉
    • アレス讃歌17行の中身と、作者についてわかっていること
    • 「怒りを消す」ではなく「手綱を持つ」という見方

    ひと目でわかる「人々とアレス」

    場所 人々がしたこと
    アカルナイ 兵士の誓いの証人に、アレスを呼んだ
    スパルタ 古い戦いの神の像を、鎖で町につないだ
    テゲア 勝利のあと、女性たちがアレスに捧げ物をした
    ローマ マルスを「父」と呼び、畑と家を守ってと祈った
    アレス讃歌 自分の怒りを抑える勇気を、ひとりの人が願った

    物語の流れを図で確認

    flowchart TD
        A1["憎まれた
    戦いの神"] A2["誓いの証人
    アカルナイ"] A3["鎖でとどめる
    スパルタ"] A4["畑を守る父
    ローマ"] A5["ひとりの祈り
    アレス讃歌"] A6["平和の中に
    とどまる勇気"] A1 --> A2 --> A3 --> A4 --> A5 --> A6 classDef war fill:#FEE2E2,stroke:#DC2626,color:#450A0A classDef town fill:#FEF3C7,stroke:#D97706,color:#451A03 classDef farm fill:#DCFCE7,stroke:#16A34A,color:#14532D classDef pray fill:#E0F2FE,stroke:#0284C7,color:#082F49 class A1 war class A2,A3 town class A4 farm class A5,A6 pray linkStyle default stroke:#94A3B8,stroke-width:2px

    アカルナイ|兵士の誓いを見とどけた神

    ここからは神話の物語ではなく、石に残る記録です。

    アカルナイは、アテネの近くの地区です。ローマ時代より前のアテネ一帯で、アレスを祭る場所として知られているのは、見つかっている記録の範囲ではここだけです。

    およそ2350年前の石碑には、兵士になる若者の誓いが刻まれました。

    「隣に立つ仲間を見捨てない」

    誓いの言葉 内容
    武器 手にした武器を辱めない
    仲間 隣に立つ者を見捨てない
    国 祖国と法を守る

    この誓いの証人として挙げられたのが、アレスたち神々と、麦やぶどう、オリーブなどの実りでした。戦いの誓いのそばに、暮らしがあったのです。

    別の石碑には、アレスと女神アテナの祭壇を整える決議も残っています。神のお告げに応えて、費用まで手配した記録です。神話では争った二人の神が、この町では同じ祭りの中にいました。

    「ギリシャ人はアレスを嫌い、祭らなかった」と一言でまとめることはできません。神話の中で憎まれた神は、町の営みの中にも席を持っていました。

    スパルタの鎖の像|なぜ神をつないだのか

    強い軍で知られるスパルタには、足に鎖をつけられた、古い戦いの神の像がありました。名前はエニュアリオス。アレスと重ねられることの多い神です。

    なぜ、鎖につないだのでしょうか。戦いが嫌いだったからではありません。答えは逆です。

    よくある思い込み 原典での説明
    戦争を嫌って神を罰した 神が町から逃げ去らないようにした
    アレス本人の像だった 像の名はエニュアリオス
    スパルタだけの考え方 アテネの翼のない勝利の女神も同じ考え

    旅行家パウサニアスは、アテネの勝利の女神に翼がないのも、飛び去らないようにするためだと比べています。

    鎖は、罰ではありませんでした。戦いの神に、町にとどまってほしかったのです。この「とどまる」という言葉は、記事の後半でもう一度出てきます。

    テゲアの女性たち|「女たちの宴のアレス」

    そのスパルタの軍が、北の町テゲアへ攻めこんだときの話です。パウサニアスが伝えています。

    • テゲアの女性たちは武器を取り、丘の下に伏せて待った
    • 男たちが激しく戦うところへ現れ、敵を退けた
    • いちばん勇敢だったのは、マルペッサという女性だった
    • スパルタの王カリロスは捕らえられ、身代金なしで帰された
    • 勝利のあと、女性たちは自分たちだけでアレスに捧げ物をした
    • 捧げた肉は、男たちに分けなかった

    ここからアレスは「女たちの宴のアレス」と呼ばれ、町の広場の石碑に、その浮き彫りがあったといいます。

    女性だけが戦い、男たちが逃げたという話ではありません。呼び名のいわれを語る町の伝えで、戦いの史実と確かめられたものでもありません。アレスが女性全体の守り神だったとまでは言えません。

    それでも、町は戦いの神を遠ざけず、そばに呼びました。「いちばん憎い」と言われた神は、そばにいてほしい神でもあったようです。

    ローマのマルス|畑を守る「父」

    ここからはローマの話です。ローマでは、アレスと重ねられた神をマルスと呼びます。ギリシャ神話の続きではなく、別の土地の信仰として読んでください。

    三月はマルスの月

    英語の三月、マーチは、マルスの月に由来します。詩人オウィディウスは、ローマを建てたロムルスが、父とされるこの神の名を、年のはじめの月にしたと語ります。

    一輪の花から生まれた神

    オウィディウスの『祭暦』には、戦いから遠い誕生の話もあります。ヘラにあたる女神ユノが、花の女神フローラの花にふれられて、身ごもったというのです。花を食べたのではなく、花の種類も書かれていません。

    畑を清める祈り

    ローマの政治家カトーは、畑を清める祈りを書き残しました。畑の持ち主は、豚と羊と牛を畑にめぐらせて、こう祈ります。

    「父なるマルスよ。見える病気も、見えない病気も遠ざけてください。穀物とぶどうを育て、羊飼いと羊と、家の人々を健やかに」

    祈りの中のマルス 守ってほしいもの
    畑 穀物とぶどう、植えたもの
    群れ 羊飼いと家畜
    家 家と、そこに暮らす人々

    父に憎いと言われた神と重なるマルスが、ここでは「父」と呼ばれています。祈りの「家の人々」は、いまの親子だけの家族より広く、家に暮らす人々全体を指すこともある言葉です。

    ただし、この祈りを根拠に「マルスはもともと農業の神だった」と決めることはできません。

    槍を置く時間を

    オウィディウスは『祭暦』三月の歌の始めに、こう呼びかけました。

    「盾と槍をしばらく置いて、兜から髪をほどいてください」

    女神アテナを手本に、槍を置く時間を持ってほしいというのです。これは詩の中の軽やかな呼びかけで、マルスが槍を置いたという話ではありません。

    アレス讃歌を読む|17行の祈り

    作者のわからない歌

    アレス讃歌は『ホメロス風讃歌』という歌の本の、八番目の歌です。

    項目 わかっていること
    長さ わずか17行
    作者 わからない。ホメロス本人の作とは言えない
    時代 後の時代の作とされる
    語る人 ひとりの人間。アレスは一言も話さない

    呼び名の波

    歌は、呼び名を重ねることから始まります。

    「力に満ちた者、金の兜の神、町々の救い手、槍に強い者」

    「オリュンポスの守り、勝利の父、正しい人々の導き手」

    思い出してください。ホメロスの『イリアス』で、父ゼウスは「オリュンポスの神々の中で、いちばん憎い」と言いました。女神アテナは「人間の災い」と呼びました。

    作品 アレスの呼ばれ方
    『イリアス』のゼウス 神々の中で、いちばん憎い
    『イリアス』のアテナ 人間の災い
    アレス讃歌 オリュンポスの守り、人間を助ける者

    別の時代の、別の人の言葉です。アレスが変わったのではありません。呼ぶ者が違うのです。

    空を見上げる

    歌は空を見上げます。アレスは、火の輪を、空の星の道にめぐらせる神とうたわれます。古代の人が見上げた赤い星、火星の姿が重なります。

    祈る人が願ったこと

    祈る人は言います。「聞いてください、人間を助ける神よ」。

    願い 内容
    暮らしのために やわらかな光
    自分のために 戦いの力
    力の使い道 苦い臆病さを追い払う
    力の使い道 心の中の偽りの衝動を押さえる
    力の使い道 争いへ駆り立てる鋭い怒りを抑える

    戦いの力も、はっきり願っています。勝利も敵の滅びも願わなかった、という話ではありません。けれど、その力を向けた先は敵だけではなく、自分の中でした。

    平和の中にとどまる勇気

    結びの願いです。朗読しやすいように短く意訳しました。

    「幸いなる神よ、勇気を与えてください。傷つけ合うことのない平和の中にとどまり、敵との争いと、むごい死を避けられるように」

    「勇気」も「とどまる」も、戦いの物語で戦士に使われる言葉です。その言葉で、この人は平和を願いました。

    よくある読み違い

    よくある思い込み 歌の中での姿
    アレスが改心した 語るのは人間で、アレスは話さない
    平和だけを願った 戦いの力も願っている
    アレスの言葉 平和の願いは、祈る人の言葉

    二つの「とどまる」

    誰が 何を どこに
    スパルタの町 戦いの神の像を 町に
    祈る人 自分を 平和の中に

    二つを古代の人が結びつけた証拠はありません。ここは読み手としての気づきです。町は鎖で神をとどめ、この人は自分をとどめたかったのでしょう。怒りを知る神にこそ、頼みたかったのかもしれません。

    潜在意識から読み解く「怒りの手綱」

    ここからは、物語をもとにした考察です。原典に書かれていることと、考察を分けて読んでください。

    感じることと、傷つけることは違う

    心理学では、怒りという気持ちと、相手を傷つける行動を分けて考えます。怒りを感じても、行動を抑えることはできます。

    祈る人も、怒りを消してくださいとは願いませんでした。怒りを追い出さず、手綱を持とうとしたのかもしれません。

    気づく前に動きだす怒り

    怒りが厄介なのは、気づく前に動きだすことです。

    flowchart TD
        B1["傷つくことが
    起きる"] B2["体がこわばる"] B3["相手を敵だと
    決めつける"] B4["言いすぎる
    手が出そうになる"] B5["気づいて
    立ち止まる"] B6["守り方を
    選び直す"] B1 --> B2 --> B3 --> B4 B3 --> B5 --> B6 classDef auto fill:#FEE2E2,stroke:#DC2626,color:#450A0A classDef stay fill:#DCFCE7,stroke:#16A34A,color:#14532D class B1,B2,B3,B4 auto class B5,B6 stay linkStyle default stroke:#94A3B8,stroke-width:2px

    こうした自動の反応を、ここでは日常の言葉で潜在意識と呼びます。歌の「心の中の偽りの衝動」は、そのことを言い当てているようにも読めます。怒っているのは自分なのに、怒りに連れて行かれるのです。

    研究からわかること

    154の報告をまとめた研究があります。

    活動の種類 報告されていること
    呼吸や瞑想など、落ち着かせる活動 平均して怒りを減らしていた
    気持ちを高ぶらせる活動 全体では、はっきり減るとは言えない

    これは平均の話で、効き方には大きな違いがあります。「怒った瞬間に深呼吸すれば必ず消える」「運動は怒りを悪化させる」という意味ではありません。怒りが何割減るという数字でもありません。

    平和は、我慢とは違う

    平和の中にとどまることは、ひどい扱いに耐え続けることではありません。祈る人は、臆病さも追い払いたいと願いました。とどまるのは、誰も傷つけないという場所です。

    勇気の形(考察) 例
    距離を取る その場を離れて、落ち着く時間を持つ
    伝える してほしくないことを、言葉にする
    助けを求める 信頼できる人や相談先につながる

    七つの物語を振り返る

    シリーズで見てきたアレスを、七つの言葉でたどります。どれも別々の作品の、別々の語りです。

    flowchart TD
        C1["傷
    手当てを命じた父"] C2["壺
    届いた助けの手"] C3["知恵
    並んで祭られる"] C4["涙
    子を思う父"] C5["恋
    恐れと調和"] C6["償い
    敵が家族に"] C7["祈り
    人は平和を願う"] C1 --> C2 --> C3 --> C4 --> C5 --> C6 --> C7 classDef myth fill:#FEF3C7,stroke:#D97706,color:#451A03 classDef pray fill:#E0F2FE,stroke:#0284C7,color:#082F49 class C1,C2,C3,C4,C5,C6 myth class C7 pray linkStyle default stroke:#94A3B8,stroke-width:2px
    回 言葉 見えたこと
    第1話 傷 憎いと言った父が、手当てを命じた
    第2話 壺 動けない神に、助けの手が届いた
    第3話 知恵 倒した女神と、並んで祭られた
    第4話 涙 怒りの奥に、子を思う父がいた
    第5話 恋 恐れと調和が生まれた
    第6話 償い 敵が家族になる道が開けた
    第7話 祈り その神に、人は平和を願った

    アレスが順に成長して、穏やかな神になった物語ではありません。変わったのは、アレスを見る、私たちのほうかもしれません。

    よくある質問(FAQ)

    Q1. アレス讃歌とは何ですか?

    『ホメロス風讃歌』という歌の本の八番目にある、アレスへの祈りの歌です。わずか17行で、ひとりの人間が呼びかけます。アレスは一言も話しません。

    Q2. アレス讃歌の作者はホメロスですか?

    いいえ。作者はわかっていません。『ホメロス風讃歌』という本の名は、ホメロス本人が書いたことを意味しません。この歌は、言葉も作風も他の歌と異なり、後の時代の作とされます。後の時代の学者プロクロスの作とする説もありますが、反対の意見もあり、確かなことは言えません。

    Q3. アレス讃歌で、人は平和だけを願ったのですか?

    平和だけではありません。戦いの力も願っています。その力で臆病さを追い払い、心の衝動と鋭い怒りを抑え、平和の中にとどまる勇気がほしいと続きます。

    Q4. スパルタは、なぜ戦いの神を鎖でつないだのですか?

    パウサニアスは、神が町から逃げ去らないようにするためと伝えます。戦いを嫌った罰ではありません。像の名はエニュアリオスで、アレスと重ねられることの多い神です。

    Q5. アレスを祭った町はありましたか?

    あります。アテネの近くのアカルナイには、祭壇や兵士の誓いの記録が残ります。テゲアの広場には「女たちの宴のアレス」の浮き彫りがあったと伝わります。

    Q6. マルスとアレスは同じ神ですか?

    ローマでは、アレスと重ねられた神をマルスと呼びます。ただし、まったく同じではありません。ローマには畑と家を守ってと祈る言葉があり、英語の三月もマルスの名に由来します。

    Q7. 怒りは我慢したほうがいいのですか?

    我慢だけが答えではありません。この記事の考察では、怒りを感じることと人を傷つけることを分けて考えます。距離を取る、伝える、助けを求めるなど、守り方はいくつもあります。

    まとめ|平和の中にとどまる勇気

    問い 答え
    アレス讃歌とは? 作者不明の17行の祈りの歌
    語るのは誰? ひとりの人間。アレスは話さない
    何を願った? 戦いの力と、怒りを抑える勇気
    なぜ鎖の像が? 戦いの神が町から去らないように
    ローマでは? マルスを「父」と呼び、畑と家を祈った
    潜在意識から見ると? 怒りの手綱を持ち、守り方を選び直す

    憎まれた神は、人々に祭られ、呼ばれ続けました。はるか昔のひとりの人は、その神に、自分の怒りをしずめる勇気を願いました。

    怒りは、あなたが何を大切にしているかを教えてくれることがあります。大切なものの守り方は、選び直せます。

    あなたが怒りを感じたとき、落ち着くためにしていることは何ですか。